2014年 08月 18日

朝鮮戦争モニュメント Korean War Monument

フラッシングにあるキセナパークで遭遇したモニュメント。
朝鮮戦争1950−1953 The Forgotten War と刻まれています。

何だかとてもリアルな像で、泥に浸かったような軍服が重そうで、もうこれだけで戦争のつらさが伝わってきます。そう、忘れられた戦争、です。
じつはこれを見た瞬間、1937年に中支(中部支那)の前線に従軍した父が、揚子江の支流の泥の河にもぐり、藁1本で呼吸しながら対岸に渡ったときの姿を思い浮かべたのでした。


朝鮮戦争そのもののこともそうですが、その犠牲者の数のすさまじさも意外と知られていません。北朝鮮軍、韓国軍、中国軍、アメリカ軍、それに連合軍、あわせて200万人の兵士の死者、民間人の犠牲者も推定200万人と言われています。



10年以上前のことですが、ニューヨークに着いてケネディ空港から乗ったタクシーの運転手が高齢の方で、名前からコリアンのようだったので話しかけたことがあリます。多分、いつからニューヨークに住んでいる? みたいなことを聞いたのだと思います。
けっこうお喋りなおじさんで、朝鮮戦争の戦火の中を貨物船の船底にひそんで、ここまでついたのだと言います。

「家は朝鮮の北の方の農民だった。ただ死にたくない一心で逃げて、そうだよ、逃げたのはひとり。若かったからね。ついたところがアメリカだから、もう帰ることもできないよ。それ以来、家族とは生き別れ、親兄弟が生きているのか死んだものかさえもわからないままよ。でも、私はこうして生きているのだから幸せだね!」
アメリカに行く船ということだけは乗る前に聞いていたけれど、アメリカが地球上のいったいどこにあるかさえ、よくわからなかったそうだ。
私は話を聞きながら、多分、母国でほとんど学校に行ってなさそうなその人が、こうしてハンドルを握り、当然ながら永住権もとり、早口の英語で明るいお喋りを楽しめるようになるまでに、どれだけの苦労をしただろうと思いました。

わたしは大人になってだいぶたつまで朝鮮戦争のことをよく知りませんでした。これがどんなにすさまじい戦争であったか、どんなに理不尽な戦争であったか。
日清戦争も日露戦争も、朝鮮が欲しくてたまらない日本の財閥や、朝鮮支配を出世の階段としたい政治家やら官僚やらの支配層が、他国の関係にいちゃもんつけて起こした戦争であり、朝鮮を戦場として多大な犠牲者を出した。そして日韓併合。36年間の日本の植民地支配。
日清日露のいきさつは、角田房子著 『閔妃暗殺』 

閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)

角田 房子 / 新潮社

に詳しいので、とてもおもしろいノンフィクションですが、日韓関係史の暗部を知るのにおすすめします。

朝鮮は、日本の帝国主義侵略の犠牲者であり、太平洋戦争の戦勝国であるはずなのに、日本の敗戦と同時に、連合国の合意によって、国を資本主義陣営と社会主義陣営に分断されてしまいます。その後はこんどは冷戦の代替地として戦火にさらされます。ずっと踏んだりけったリです。

フラッシングの図書館で、以前に朝鮮半島の現代史記録映画のDVDを借りたことがあります。それは、朝鮮半島の民衆運動史であり、それは抗日運動史であり、それをみると抗日の組織は網の目のように朝鮮半島全体に行きわたっていたということがわかります。北からの革命軍と同時に、アメリカ軍に抵抗する抗日運動で育った民族解放軍がいて、これはまったくベトナム戦争とおなじ構図です。もしアメリカが介入していなかったら、朝鮮はベトナムのような社会主義国になっていたはずです。
しかし、日本が朝鮮半島を植民地にしていなければ、抗日運動という抵抗の歴史はなかったわけで、それがなかったら、北朝鮮も生まれてなかったかもしれません。
そして、日本が中国を侵略していなかったら、中国は社会主義革命をやったかどうかと思います。抗日運動という草の根の下地があってこそ革命戦線を張ることができたように思うからです。だからこれらの国のふたりの独裁者(毛沢東と金日成)を生んだのは、帝国主義日本の侵略だったのかもしれません。
それにしても、隣の国だというのに、私たちはまだまだ知らないことが多すぎます。












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# by keiorihara | 2014-08-18 13:35 | Queens | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 10日

ヒンドゥー寺院 Geeta temple

クイーンズの真ん中、エルムハーストにあるヒンドゥー寺院、ジータテンプル。
しかしこの通りは、、、あんまり歩きたくないようなうらぶれた廃工場街のような通り。そこに突然、、、思わずバスを降りてしまいました。

ドアを押し開け、挨拶して、写真の許可を得ました。ご自由に〜って、気楽な感じ。


ご存知ガネーシャ。


Baba Balaknathという神様はどんな神?と思って調べたら、ヒンドゥーの神様の楽しいYouTube がたくさんありました。こんな祭り事(ここにも歌と踊りが!)がインド中のいたるところで無数に行なわれているのだと思うと気が遠くなります。


ずいぶん広い空間ですが、お祭りの日はこんな感じ。発散してますね。


アチコチで、祭壇を掃除したり、飾り付けたり、毎日の手入れを一般人がやっています。


ネットによると、ヒンドゥー寺院はNY市内だけで42カ所リストされていました。しかし、このジータテンプルはリストにも載っていません。ちらしにクイーンズのセンターみたいに書いてありましたが。ということは、もっともっとたくさんあるということでしょうね。


これはカーリー神ではないようです。おとなしめのイメージですが、クリックしてみて下さい。けっこう怖い。


なかなかこないバスを待つ少女。








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# by keiorihara | 2014-08-10 17:05 | Queens | Trackback | Comments(5)
2014年 07月 30日

フラシングのショッピングセンター Flushing Mall

この色使いの奇抜さ?に、びっくり。そこら中を色とデザインで埋め尽くしたいという意欲がいっぱいです。


でも、ほとんどお客がいません。多くの店がシャッターを下ろしているのです。



右の雄牛はメッツのユニフォームです。さすが地元。
しかし、このショーウィンドウ(だと思う)の陶製の牛のカップル、スゴイ。。。


上の陶器屋さんの店内です。ひょうたん型に目が引っぱられました。この画面の中にも4つもひょうたんが。


彼氏へのプレゼントにZIPPOのライター?  そういう時代が日本にもあったような。


この床のビニタイルの色に圧倒。歩いている女の子のバッグとパンツにも注目。


こちらは指輪を加工してもらったようです。運命の石?
しかしメノウでしょうか、こんな大きなネックレス? 幸運がかかっていると思うと重いのもなんのその?

じつはこの写真は2年前に撮ったもの。このお店はもう閉店しました。栄枯盛衰はげしいフラッシングです。たくさんのおもしろいお店がなくなりました。


この街は、60年代まではヒスパニック系の入らないまったくの白人の住宅地域だったそうです。チャイナタウンを形成し始めたのは70年代から。今では44%の住人がアジア人です。(韓国人も多くこのなかには韓国人街もあります。80年代までは日本人もけっこう住んでいました)人の流れの速さにびっくりします。


フラッシングモールのなかにあるNPOのシニアデイケアセンターをのぞいてみました。中国拳法やら墨絵やらいろんなことをやっていて、豊かな文化を感じました。
上海から来た若い女友達は、ブランド品のバッグ(5万円以上)を買って上海に送って、という小ビジネスをしています。送料をひいて関税を取られても、もっと高く売れるので儲かるのだそうです。中産階級がどんどん買うのよ、と言っていました。中国はあっという間に、わたしたちのイメージを塗りかえているようです。







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# by keiorihara | 2014-07-30 07:22 | Queens | Trackback | Comments(2)
2014年 07月 16日

クイーンズのチャイナタウン Flushingを歩く


クイーンズの、今ではマンハッタンのチャイナタウンをサイズの面でも数の面でも抜いたといわれるフラッシングのチャイナタウン。地下鉄7番線の終点にあります。


どんな時間もどんな曜日も人でいっぱいの通り。


チャイナタウンといえば、いぜんは香港、マカオ、台湾と、それに東南アジア、中南米の華僑の出身の人が多かったそうですが、いまでは本土、中華人民共和国からの移民がふえて、そうなると言葉は北京で話されている公用語であるマンダリンが力を得てきているそうです。
たとえば福建省から来たひとは母語が福州語(福建方言)であるにもかかわらず、こどもにはマンダリンを話してほしいと願い学校教育に力を入れるそうで、どんどんアメリカの中国社会はマンダリンで統一されていくようです。
広告文字も簡体文字が増えていくに違いありません。


中国人といえば、一昔前は小さい人ばかりだったように思いますが、つぎのジェネレーションは本当に大きい。文字どおりこの国のジェネレーションギャップは、ひと世代飛び越したほど大きいような気がします。


造花と、花の写真の壁掛け、って似たコンセプトですね。オープンしたばかりのモールの中のピカピカのインテリアのお店。


最近の上海やら北京に行ってみたくなります。


ここフラッシングには1986年の調査ですでに、6万の中国人によるビジネスがひしめいているという話です。
この通りは1階は飲食店ですが、その上はぜんぶヘアサロンやエステなどの美容関係で埋まっています。



ニューヨーク市に住むチャイニーズアメリカン(アメリカ国籍をもっている、中国人+華僑出身者)52万人のうち、21万人がクイーンズに住んでいるのだそうです。
1平方マイル(1マイル=1.6km)に、中国人は1912人いるそうで、クイーンズの人口の9.2%が中国人。といっても移民ヴィザで住んでいる市民権(国籍)をとっていない新移民(私のような)はこの数に入っていないのですから、これらの数字はすごい、と改めて思います。
つまり、クイーンズには10人に一人なんてものじゃない数、東アジアの顔をした人がいるんだということです。




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# by keiorihara | 2014-07-16 12:15 | Queens | Trackback | Comments(2)
2014年 07月 06日

独立記念日  4th of July Fireworks

毎年7月4日は合衆国の独立記念日です。(すみません、前回のフラッシングの続きは次回へ)
これはメイシーズという、世界一の売り場面積を誇る百貨店が主催している恒例の花火。
全米中ほとんどの都市や町でもお祝いの花火は打ち上げられているはずです。

このところずっと花火はハドソン川だったのですが、ことしは、新しい市長がブルックリン出身ということもあってイーストリバーのブルックリンブリッジ付近が打ち上げ地点になりました。(ブルックリンブリッジは右側に見えますね。その右にエンパイアステイトビルも)
というわけで今年は、川の近くに住む友人のアパートメントの屋上から花火見物です。
シルエットは隣のビルの住人たち。

アメリカの花火は、日本の花火のような、技を尽くして大見得切ったようなのはありません。どちらかといえば、繊細でアーティスティックと感じます。


こちらは暗くなるのが遅く、9時をまわってもまだ夕暮れ、やっと9時半ごろに始まりました。(右端にエンパイアステイトビル)


そして始まるとつぎからつぎに休みなくつづきます。


終わりに近づくと、これでもかといわんばかりの連弾です。


じつはブリッジの周辺に行けば、川面や橋げたから、かなりの仕掛け花火が炸裂していたのが見えたはずですが、わたしたちは上のほうに上がった打ち上げ花火しか見えていなかったのです。


面白いことに、アメリカの花火を初めてみたときに、バレエのようだと思ったのです。はじける感じやテンポ、華麗さがバレエの群舞のようだと。そうして思うと、日本の花火は歌舞伎、と言えます。豪華で優美で1本でカタチを決める感じ。


私たちの後ろ側にあたる隣のビルでは、若者たち百人くらいがバンド演奏付きのパーティーをやっていて、花火が始まると、みんなが合衆国国歌を合唱しはじめたのです。
「オイオイ勘弁してくれよー」とあきれ顔を見あわせるのはこちら40代、50代のパーティ。
若者の方がこんな感じなのは、アメリカでも同じなのです。
今年はニューヨークでも異常に盛り上がったワールドカップの影響もあるのかもしれませんが。




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# by keiorihara | 2014-07-06 16:46 | Brooklyn | Trackback | Comments(2)


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