折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2017年 11月 11日

番外篇 * 愛しのシリア 第2回

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ベドウィンの家族

ガイドのラフィックさんの運転する旧式のボルボは、パルミラに向かってシリア砂漠を砂ぼこりを立てて走りつづける。
ゴロゴロとした塊まじり、乾いた草まじりの固い砂の荒野は、お世辞にも美しい砂漠とは言えない。
車窓からは熱風が頬を叩きつける。

しかし、空は高く深く、空はあまりにも大きい。
すべての視界が空と砂だけ。重要なものは何もない。あるのは空間だけ。
わたしのような無宗教者にさえ、コーランの詠唱が確かに聞こえたような。。。アッラー〜〜アクバル!
かつてこれほど大きな自然の中に神の存在を感じたことはない。

ダマスカスから遠くはなれて、道路から荒野の向こうに小さくポツポツとテントが見える。
ラフィックさんに頼んで、道路をはずれて砂のなかをテントまでゆっくりと走ってもらった。
ベドウィンのホスピタリティについては読んだことがあったけれど、、、まぎれもなく、ほんとうにあまりにも自然。


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入れ墨をした女主人(彼女の堂々とした立ち居振る舞いの美しさ)



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まだ6〜7歳だろうか、弟を抱いた瞬間大人の顔になった



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一休みさせてもらった部屋 (どうやら、この家族または親戚じゅうで彼女が一番偉い人のようだ)




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ご夫妻 (水はラクダではなくエッソのトラックで。昔は国境なんて関係なかったからどこにでも行けた。けれど、いまはパスポートがいるので自分たちにも国境ができてしまった。子供も学校に行かなければならない。。。そんな話を聞いた)




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同行の詩人、吉増剛造さんとラフィックさんらに別れをする女主人。
(子どもたちが注目しているのは女主人(母?)彼女のふるまいを畏敬の念をもって学んでいる子ら。男の子の、”自分が守る”という自負の態度。)



ベドウィンとは、シリアからアラビア半島、北アフリカにもまたがるアラブ全域に存在する遊牧民のこと。
砂漠のテントに住み、羊やヤギを飼い草の状態で移動しながら繁殖、売買して暮らす。
1959年にはアラビア半島の四分の一の人口がベドウィンだったらしい。
しかし現在はアラブトータルで2000万人、シリアで62万人(2013, Wikipedia) と言われているが、実際はシリア30万人、アラブすべてで400〜500万人くらい、そのうち伝統的な暮らしを続けているのは実態で6〜7%だろうという話だ。(シリアー遊牧民篇)
つまり、都市に住み遊牧生活から離れても、自分のアイデンティティをベドウィンだと答える人がたくさんいるということだ。(反対に親がテントに暮らすベドウィンであることを隠している人もいるらしいが)

90年代のシリアの議会では、国会議員のベドウィンの割り当て議席は6議席で、これは人口の3%に当たった。
そして2010年の選挙では、国会議員の12%がベドウィン起源となった。
父アサド大統領も、ヨルダンやサウジに行ったベドウィンに、戻ってきて国の経済に投資するよう呼びかけていた。
議会にマイノリティ割り当て議席を持った国、どう考えても独裁者の国とは思えないのだけれど。



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# by keiorihara | 2017-11-11 10:13 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 30日

番外篇 * 愛しのシリア 第1回

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スーク(市場)/アレッポ



日々、シリアの惨状をニュースで聞き、ユーチューブで瓦礫と化した町まちを見るにつけ、言葉にならない思いと、悲しみ、怒りが押し寄せる。

ISIS(アイシス/イスラム国)が首都と定めていたラッカが、シリア民主軍(SDF)という得たいのしれない軍隊によって陥落した。
街は爆撃で瓦礫の山、もう街として機能しないくらい完全に崩壊している。勝利側は、アメリカ軍の空爆、武器支援を受けた、クルド人が主体の混合反体制派(反アサド)グループといわれている。
アメリカが武器をふんだんに振りまいて育てたISISを、これまたアメリカの空爆支援を受けアメリカにふんだんに武器を振りまかれたテロリストグループが追い出した、というわけである。
ワシントンのシンクタンクはすぐに声明を出した。これでISISがいなくなったわけではない、むしろ世界中に広く深く散らばって、今後もテロとの戦いは続くのだ、と。
いつものように、いや、ますますと人びとに恐怖をばらまいている。


シリアを旅したのは1990年。
イラクのクウェート侵攻の直前だった。翌年湾岸戦争が始まっても、間違ってもシリアの国土が戦争に巻き込まれるとは夢にも思っていなかった。それほど静かで平和な国だった。

確かに、はじめてダマスカスの空港に降りた時は、さすがに中東、そしてロシアから軍事援助を受けて国境線を守っているのだからここはもしかして社会主義国? と思わせる入管等の態度にちょっと緊張したものだ。しかし町に入ったとたん、そんなことは忘れてすっかりのんびりした気分になった。

緊張関係のある5カ国(トルコ、イラク、ヨルダン、イスラエル、レバノン)との国境をもった国、というより、古代からの隊商の都市、シルクロードの最終地点であり、物や人の顔が東西文明の交易の歴史を物語っている心豊かな国、と言った方がいい。

ダマスカスに入ったのはちょうど正午のお祈りの時間。まさかコーランの声が拡声器をとおしてこんな大音声で街中に流れているとは思わなかった。
魔法のような旋律と絶妙な長い間合い。枯れたテノールの声が開け放した車の窓から熱風とともに飛び込んでくる。
風景がアラブに塗り込められる。
そして夜、ホテルのベッドに横たわっていると、窓の外から突然耳をつんざくスピーカー音。夜中の12時にありえないほどの大音響である。窓の外は闇。闇を覆い尽くすコーランの祈りの声。
やはりここはアラブ人の、まぎれもなくイスラムの国なのだと否応もなく思った。


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食堂/Damascus




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喫茶店かと思って入ったら何かの待合所のようだった/Damascus




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スーク/Damascus



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モダンなファッションの母親と伝統的な衣装の娘/Damascus



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スークから出た大通り/Damascus



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お店の裏口を入るといきなり笑顔/Damascus



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前だか後ろだかわからない婦人たち/Damascus



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打ち水をした裏通り/Damascus




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車から降りてきた家族/Damascus




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右側のようにコート姿の女性は多い/Damascus




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新市街の夕暮れ/Damascus



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織物屋の奥で/Damascus



なぜ、シリアはこんなことになったのか? なぜ、シリア国民はこんな悲惨な目に遭わなければならないのか?

アメリカ、および西欧の世界戦略を歴史を追ってたどっていくと、それは、ここ数年に始まったことではない。
CIAはシリア介入を1949年に開始した。



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# by keiorihara | 2017-10-30 15:43 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 17日

サラダボウルのニューヨーク

今回が、<ニューヨーク写真日記>の最後の更新となりました。
ニューヨークから、別世界のロサンゼルスに移り住み、いまはまた、まったく異なるテーマで写真を撮りまくっていますが、新しいブログを始めるにはやはり、しばしの時間が必要であるように思います。
最後の回の更新を何故か無意味にのばしてしまいましたが、ごちゃまぜのニューヨークで締めくくろうと思います。


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Sunnyside, Queens
夜遅くまで頑張るGyro(ジーロ、ギリシャの屋台料理)の車。懐かしいサニーサイドの情景です。Halal Food (イスラム法にのっとった肉など)を売りにしていますが、すべての人種に人気。


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Astoria Park, Queens
マンハッタンを見晴らす公園はブルックリンにも数あれど、この雰囲気はやっぱりクイーンズ。アメリカっぽくない人たちが、かっこ良くもなく、なにかとてもフツーにしている。


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Park Slope, Brooklyn
この感じはやっぱりブルックリン。


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Harlem, Manhattan
ハーレムも再びルネッサンスです。ソウルフードのお店。


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Hudson River side-West village, Manhattan
これはやっぱりマンハッタンですね。


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Roosevelt Avenue, Queens
そして、これぞクイーンズ。


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Astoria, Queens
奥が深いクイーンズ。クリーニングと洋服お直しの店。


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Sunnyside, Queens
何でもあるクイーンズ。彼とこの毛布は一体化しているような。。。


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Forest Hills, Queens
どこでシャッター押してもかっこつかない感じ、これぞクイーンズ。


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Williamsburg, Brooklyn
う~む、ブルックリン、やはり。


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Queensboro Plaza, Queens
白人がわずかしかいない7番線。半分以上の居住者が外国生まれのクイーンズ。


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Woodside, Queens


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# by keiorihara | 2016-03-17 07:55 | New York | Trackback | Comments(2)
2016年 01月 30日

ニューヨーク市立大学 CUNY

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知人が西215丁目という、マンハッタンの北端のギャラリーで展覧会をしているというので見に行きました。
タイムズスクエアで、そこから北上する地下鉄に乗りかえてしばらくしたら、なんと137丁目で電車が止まってしまったのです。
「線路の故障でここから先きは行けない。全員Get Off !」
という、申しわけないなんて気持ちのかけらもない口調のアナウンスがあったっきり、何の代替策も言ってくれません。
こういうことは日常茶飯です。
みな、おとなしく下りていますが、どうするのでしょう。
わたしはもともとこの日は、見知らぬ地域を見る楽しみのために、この先でバスに乗り換えるつもりにしていたので、地下鉄から出て、地図で確かめていた一本東側のバス通りまで歩きました。

そこに現れたのがこの建物です。古い、というのか、ケバいというのか、こんな建物です。
これが、みんなの口からいちばん頻繁に聞かれる、”ニューヨーク市立大学”というもの、だったのです。
City University of New York 縮めてCUNY(キューニイと発音する)の本校です。(ちなみにニューヨーク州立大学はSUNYスーニイです)
しかしぜんぜんイメージが違ったのでびっくりしました。
というのは、CUNYは学生数51万6千人、フルタイムの教職員数6700人、年間予算 30億ドルという巨大な大学です。
マンモス大学だろうからと、かってにモダンな高層ビルをイメージしていたのです。しかし構内を覗いてみると、超モダンもありましたが、同じデザインの古い建物が奥までずらーっと並んでいます。創立は1847年、確かに古い。
ここの他にハンターカレッジ、ブルックリンカレッジ、クイーンズカレッジ等々、26のカレッジと大学院で成り立っています。

アメリカの大学は授業料が確かに高い。しかし、ここは単位制だし、安い。また奨学金やさまざまな免除もあるようです。若い人たちは一度社会に出て、いろんな仕事をして、やりたいことを見つけ、それから大学に入学する人も多く、また、方向転換したり、子育てを終えて再入学する人たちも多くいます。

多くの州立大学、一般大学卒の人たちは、いろんな会社でインターンをやったり、パートタイムで働いたりしながら就職先を探すようです。大学生は、けっこう学業が忙しく、勉強しなければ卒業できないので、生活のためのバイトはしても、シュウカツをするような時間の余裕はなさそうです。
第一、一般的に大学卒業前に就職を決めている人なんて、ごくわずかのエリートたちだけではないでしょうか。まあふつうエリートは大学院まで行きますが。

アメリカには、アルバイトという言葉はありません。学生であろうとなかろうと、仕事はjob一つです。フルタイムとパートタイム、スタッフとフリーランスみたいなちがいはありますが、そこにはバイトという学生的就労のニュアンスはありません。(インターンという名のタダ働きもありますが。ちなみに友人の娘が4年生の夏休みにマイクロソフトにインターンにいったら1ヶ月40万円もらったそうなので、インターンといってもいろいろのようです)
とにかく、生活のための仕事をしながら、本当にやりたいことを見つけ、それから大学院に行って専門職についた、という話はよく聞きます。

アメリカの大学と社会について思ったことですが、社会が専門職や、専門の勉強をした人を尊重する。
大学も、できるだけ細かく、専門の知識を与え、社会に役立てる人材を出そうとしていることです。
たとえば、州ごとに州立大学がたくさんありますが、そこには必ず社会福祉学部(social work)があり、たとえば児童虐待を専門に勉強した学生の多くは、卒業して州や市政府などの家庭児童局や民間の関連NPOで働きます。
日本のように児童相談所に配属になった行政職が、被虐待児に対応したり、家庭訪問するなどの貧しいサービスはありえません。絶対に専門家を必要とする仕事なのですから。

アメリカでは大学で気が変わって専門を変えることも、大学を変えることも、お金や時間を無駄にしない方法で自由にできます。
授業料は高いけど、入学金制度がないというのも、助かります。
大学どうしはもっと開かれています。教師どうしもオープンです。
大学に関しては書きたいことがたくさんあって、市立大学の話から外れてしまいました。

****
ニューヨーク写真日記は、著者がニューヨークを移転したため、次回をもってひとまずお休みさせていただきます。
本当は今回で終わりにすべきでしたが、昔書いていた中途の投稿を見つけ、つい更新に使ってしまいました。
とにかく写真が山のようにあって、この愛すべき過去をいったいどうしたらいいかと思ってしまう今日この頃。
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# by keiorihara | 2016-01-30 23:12 | New York | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 07日

テロとの戦い? サンバーナディーノ事件 San Bernardino incident

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Sunnyside,Queens


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Sunnyside, Queens


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Brooklyn


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Sunnyside, Queens


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Sunnyside, Queens


今度はカリフォルニアでテロ事件が起こされるだろうと巷間いわれていましたが、うわさのシナリオどおりに事件が起きました。
南カリフォルニアの東に位置するサンバーナディノ郡で、市の障害者施設での集まりに二人だか三人の武装してマスクをした”テロリスト”が現れ、無差別乱射して14人を殺害したということです。
しかし、ネットでCNNやBBCのニュースを見て、これもFalse Flag( 政府や軍が作った虚偽の旗、イカサマ。戦争のきっかけをつくるために、相手側がやったと主張する自らがつくった事件)であることを、すぐに感じました。

ニュースでは、警察と犯人の銃撃戦をへて犯人を射殺というのに、銃撃戦の片鱗の映像もなく、だいぶ離れたところに捨てられた犯人の車が写されただけ。第一、逮捕する努力は何もせずにその場で犯人を射殺(といっても、犯人は車で逃走したあとに射殺されたそうで、現場を見ている人はいない)というのは、死人に口無し。テロリストと結びつけて、一件落着してしまうのは、ボストンマラソン爆破の時と同じです。
ふつうのまじめに働いている人たちが、イスラム教徒というだけの理由で、犯人に仕立て上げられ、罠にかかって、殺されたのです。

ものすごい数の警察や軍関係、それに報道関係の車がいて、21人負傷にしては、負傷者、救出者の映像がわずか2、3人。(まあこれは、事件初期に映像を見たわけではないので)
射殺してさほどの時間もたってないのに、イスラム教徒であるパキスタン人の夫婦という犯人像が発表されました。ちゃんと筋書きが用意されていたのです。
犯人の家というのが報道陣に公開され、TVキャスターが興奮気味に「パスポート、ソーシャルセキュリティーカード、すべて残されています」と、ベッドシーツが花柄なので何が置いてあるのかわからないベッドの上をカメラはさっとなめて、「クローゼットの中に穴があけられています」と、どう見てもわが家と同じアティックとしか思えない天井の蓋を指し示して嬉々としています。(もうほんとに嘘くさい)
また、「妻のマリックは、今は消されているがFacebookでアイシスISISへの忠誠を誓っていた」ということが大きく報じられ、どちらが先きだかわからないけれど、ISISからも、彼らは支持者であるという声明があったそうで。。。
ネットからの情報では、この町は、Active Shooter Drillという、警察や軍がテロや乱射などに備えてする訓練を毎月という頻度でやっていて、2日前にもこれと同じくらいの数の警察、軍が予行演習をしていたそうで、市や郡はかなり警察、軍に癒着しているところだそうで。。

ただ、きのうのニュースだかで夫婦の双方の家族の弁護士がそれぞれ話しているのをユーチュウブで見たのですが、二人とも、「かれら夫婦はテロリストになるなどとても考えられないふつうの人たち(夫はその施設の職員)。ふたりは6ヶ月の娘をとてもだいじにして毎日を送っていた」
とくに夫のサイードの弁護士David Chesleyの、
「バカバカしい。つじつまの合わないことばかり。武器が発見された、なんて、仕組まれたとしか言いようがない」
「妻のマリックは体重が40キロくらいで、あんな重量のある大型銃を持つことさえも不可能です」という発言は真実味がある。彼の表情が、かなりの真剣さと緊張をともなっているのも、伝わってきます。
また、「Sandy Hookの件もあるように」と、彼は2012年のコネチカットの事件がでっち上げの事件であることに言及しました。

この事件は、子供が犠牲者になっただけに日本でも多いに報道されたと思いますが、コネチカット州Sandy Hookの小学校で、発達障害の青年が母親を殺したあと小学校に入り、銃乱射して20人の児童と6人の教師を射殺した(なぜか負傷者がゼロ)事件で、全米中を震え上がらせました。しかしこれは学校ぐるみ、生存家族ぐるみの演出されたお芝居、誰も死んでいない、学校はものすごい金額の慰謝金(協力金)を受け取った、という説が、ネット上で物議をかもしています。
ワシントンポストがこの弁護士の発言を取り上げて、「(このような馬鹿げた発言をする)このロサンゼルスの辣腕犯罪弁護士に、もう未来はないだろう」と、本音を書いています。
この人は消されるかもしれない。(かなりの緊張でものを言っている顔、というのを、どうぞネットで見て下さい)

例によって、オバマ大統領が「いよいよ真剣に銃規制に取り組まなければならない」と演説しましたが、いつものように口だけです。かれは民主党なので、”リベラルのスタイル”をしているだけです。本気なことなんて何もない。むしろ、彼の発言に人びとの注意をそらし、テロは怖い、イスラム教は怖い、という恐怖感だけを人びとに与えて、事件をうやむやに終わらせようとしている。
アメリカが、アフガニスタン、イラクはもとより、シリアに介入しはじめてから、つまりアサド政権を倒すために(何のために?)反体制のテロリストグループに武器を売ってISISを拡大させ、また、空爆などによって難民や貧困や反感をふくらませてテロリストを拡大生産して来たのはアメリカなのです。(アメリカと協力するイギリス、フランスをはじめとするNATO諸国もしかり)
軍事はアメリカの最大の産業で、国民の税金の20%が軍事費に使われている。国民の税金は、軍事産業やその投資家たちのフトコロに転がり込んでいっているのです。こんないい商売はありません。この産業を永続発展させるためには敵を作り続けなければなりません。
冷戦のあとに思いついたテロとの戦い、これは未来永劫つづくアメリカのターゲット。
人びとを無闇に恐怖に陥れ、テロとの戦いの正当性を印象づける、時々、このような事件が作られる必要があるのでしょう。
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# by keiorihara | 2015-12-07 06:40 | USA | Trackback | Comments(0)