2015年 02月 28日

サニーサイドの寒い日々 Cold days in Sunnyside

今年の冬はそんなに雪は積もりませんでしたが、冷え込む日が多く、零下10℃を下る日もざらにありました。

晴れた日ほど寒く

雪が降ると少しなごむ感じで

氷が張っているところと、水たまりとでバスの乗り降りも大わらわで(しかし、みな国籍不明の人たちばかりです)

ゴム長をみな履いて

さっきのバスを降りた彼女も急ぎ足で

サニーサイドの冬の夜








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# by keiorihara | 2015-02-28 12:14 | Queens | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 22日

ジャーナリズムって?



ジョージア州にいたころ、わたしが住んでいた町の州立ジョージア大学に、首都圏の某国立大学から交換留学生としてきていたジャーナリズム専攻の女子学生と、あるパーティで知り合った。
将来のことを聞くと、ジャーナリストになりたい、新聞社に就職したいと堂々と答えた。
背が高くスリムで知的な顔立ちをした、日本のメジャーの新聞社やテレビ局に確かにいる毅然としたタイプの女性である。

それで、こういう人は、アフガン戦争とイラク戦争について、どんなふうに思っているだろうかと興味が湧いて、どう思う? と聞いてみた。
「それについては2つの説がありまして、、、ひとつは、、、」
と教科書みたいな口調で話し始めて、しかもそれが”説”でもなんでもないお粗末な話だったので、
「あなたはどう思う? って聞いたんだけど」
と、そもそものその戦争の起こりの間違いを話しはじめたら、彼女は即、こう言った。
「あそこでアフガニスタンに報復しなかったら、世界はどうなっていたと思います?  それに、それって政府を批判することになるんじゃないですか? 」
「えッ? 」
わたしは絶句してしまった。

「そうよ、批判しているのよ。ジャーナリズムっていうのは、政府がやっていること、やろうとしていることを見張って、間違っているときは批判するのが役目でしょう?」というと、
「いえ、 ジャーナリズムは政府が決めたこと、やっていることを正しく伝えるのがジャーナリズムじゃないですか。あまりに正しく伝わってないことが多いんです。少なくともわたしはそう教わりました」
と。
ふたたび絶句。こんな考えの持ち主が、ジャーナリスト志望? アメリカの共和党の人が言ってることそっくりそのままなのだ。
そこで、なんとかもう少し勉強してほしいと思い、本は読んでる? どういう本を読んでるの?  と聞いたら、
「本はあまり読むのはすきじゃないので、ほとんど読んでないです」という。
アメリカの大学生は、毎週毎週、課題のために本を読まされてレポートを書くのに忙しく、好きな本を読むヒマもない、という話はよく聞いていたから、いまは論文のための英語の本は読んでいるにちがいない、とは思った。
この人は、学力があって、英語ができて、国際情勢や社会情勢についてニュース用語辞典に書いてあるとおりのような答案が書けて、就職試験をパスして大手の新聞社なんかに就職してしまうのかもしれない。きっと、そうだ。
しかし、ジャーナリストになりたい人が、「本をほとんど読まない」というのは、あり得ない話というか、発想というか。

家に帰って、夫にそのあきれた話をしたらぜんぜん驚かず、「アメリカのジャーナリズム科は、そういう風に教えてると思うよ」という。
9.11以来、CNNなどのニュースが、映像と裏腹のことを平気でいうのを聞いてから、アメリカのジャーナリズムって変、と思って、わたしはまだ東京に住んでいたけれど、彼にそんなふうに話したことがある。すると、
「そもそもアメリカでは、テレビのニュースキャスターになりたいという人は、お金にしか興味のない人だといえる。給料がすごくいいから、すぐにアッパーミドルの暮らしができるし、有名になれる。でも、平気で嘘がつけるひと、というのが条件だよ。メジャーのテレビ局や新聞社の報道局というのは、真実を追求していたら勤められない所だよ」と。

その時、日本はそこまでは、、、と思っていたけれど、しかし、このような人たちがいまは日本のマスメディアで活躍しているのかもしれない。
私たち、ひとりひとりが政府だけではなく、マスメディアさえも見張っていなければならない時代になってきたように思う。
そうなると、ひとりひとりがモノ申すよい方法が作り出せないかと思ったりするが、、、毎日ツイッターとにらめっこしている若者たちこそ、ある日、 なにかとんでもないアイデアを創造して、馬鹿げたイジメ戦争の仲間入りをしようとする体制の動きを食い止める力となってくれないかと夢見たりするのだけれど。






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# by keiorihara | 2015-02-22 14:39 | USA | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 06日

Love という動詞   <不自由な日本語 6>

Greenpoint, Brooklyn


Greenpoint, Brooklyn


Greenpoint, Brooklyn


Greenpoint, Brooklyn


Greenpoint, Brooklyn



日本でも、不気味な時代が始まろうとしている。
日本語の探究も急がねばならない。

さて、<不自由な日本語 6 >

日本語には< I  >とか< You > とかの人称代名詞がないという話を前に書いたけれども、きょうは最も基本的な、動詞の話をしたいと思う。
これは、英語をまともに学んだ人には、かなりバカバカしい話かもしれない。
しかし、英語がまともにできない状態で、とつぜん日常が英語という世界に入って、ああ、英語とはそういうものなのだと、知識ではなく実感をもってわかった英語の話のひとつである。

英語の基本は主語、述語(動詞)、目的語だけれど、それを ”I love you.”という文で説明してみたい。
日本語では愛の告白に、<わたしは>いう言葉は要らない。<あなたを>もいらない。なんて簡単なのだろう。
なのに、どうして言いにくいのだろうか。
英語は、 I  も You も欠けていては文とし成立しないし、意味そのものが成り立たなく出来ている。
まったく、逃れようのない論理性だ。
英語の” I  love you.” は、必要最小限でリズミカル、しかし、きっちりとした文法をもっている。

そして重要なのは、動詞というものの性格のちがいである。
日本語の場合は、愛している、とか、好き、といった言葉は、その時の思いの”状態”を語っていると思う。惚れているとか愛しているという心の状態、好きだという意識、つまり止まっている状態の表現だ。
しかし英語の love というのは、動詞という名のとおり、動きをあらわす。
それは今の心の状態も表しているけれど、それよりも、あなたを愛す、これからも愛していく、という進行形的な動きを表している。

英語の動詞には、この動きがある。動詞は現在から未来へと進行していく。
I love you の love は愛するという動き。今、心が荒れていても、愛してるのかどうかわからないと思っても、相手を大事にしたいと思ったら、I love you.といえる。
つきつめれば、これからあなたをずっと愛していきたい、という気持ち、愛するという覚悟をあらわす言葉といって良い。

日本語では、口げんかしたあとに、愛してるよ、とはなかなか言えないものだ。
ワサワサした気持ちが残っていると、たとえ仲直りしても、すぐには言えないと思ってしまう。
こんな気持で自分はこの人を本当に愛しているかという疑問がわいていたりする。
今の心の状態が穏やかじゃないと言えない。
あるいは、すごくセンチメンタルに流されているとか、性欲がみなぎっている場合は、それどころではなく口走ってしまうかもしれないが、まあこの話の場合は、峠を越した夫婦の話として読んでもらうとわかりやすい。

だから英語人は、夫婦げんかだけでなく、親子げんかのあとでも、兄弟げんかのあとでも、ときには友達同士でも、派手なケンカをしては、えッ? さっきまであんなに激しくののしりあっていたのに、とあきれるほど真剣に抱き合って " I  love You”と言い合ったりする。
これはまさに、愛する、という<動詞>のなせる技だと思う。

だから、毎日彼らはこの言葉を交わし合うのだ。
毎日の、それを自覚する運動となっているからだ。それこそがこの動詞 love の本義であり魔術。
アメリカ人(欧米人と言ってもいいと思うが、よくわからない)の夫婦が、いつまでも家庭のなかで、子どもの親としてだけではなく、夫婦として、女と男として、その関係をすたれさせず、だれさせずにいるのは、行動的な面で努力していることも大きいけれど、英語の魔術的な効用というのもあるのだと思う。






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# by keiorihara | 2015-02-06 17:07 | 日本語と英語 | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 26日

日本の対テロ戦争

Green Point, Brooklyn


<不自由な日本語>、なんて脳天気なことを書いているあいだに、シリアではISIS(アイシス、イスラム国)によって日本人二人が拘束され、ウェブ上で安倍首相を名指して身代金要求(さもなくば殺害の予告)をする動画が配信されて日々落ち着かなかった。
最初のニュースでは二人の経歴や人柄などが紹介され、その時点で何か臭うぞと思ったが、そのうち一人が殺害され、もう身代金はいらない、ヨルダンで捕まっている同志を解放せよ、という要求に変わった。
そんなわけでニュースを追っていながらそのことに触れず(いつもはその態度だけれども)、日本語の話だけを書くのもつまらないので、このテーマはときどき飛ばしてもいいことにしようと思った。

ところでウィキペディアの経過報告を読んだだけでも、安倍首相が人質(湯川榛名氏)を救出するために去年の8月からまったく何もしなかった、そして今も何もしていない、ということがよくわかる。
なにもしないどころか、イスラエルを訪問、テロと戦う日本を宣伝し、イスラム国対策に2億ドルを約束し、エジプト、ヨルダンやパレスチナ自治政府にもおもむき、お手柔らかにと金をばらまき、恐ろしくISISを刺激して歩いている。
しかし、後藤健二というジャーナリストは、湯川榛名を助けに行くという名目で無謀にもイスラム国の領域に入っていったのだが、じつはNHKのための取材だったようだ。
NHKは今では安倍政権下の御用報道機関である。(といって、組織の問題と、ニュースに関してのみ言っているのだが)

20日の身代金要求の動画が配信されたあと、わたしはニューヨークの日本領事館からメールを受け取った。
領事館に在留届を出しているすべての日本人に送る緊急警報メールだ。
「(前後省略)、、今回の事案が発生したことにより、日本人がテロ・誘拐等のターゲットになり得ることが改めて明らかになりました。」
パリの出版社の襲撃事件のあと、フランス政府が「テロとの戦争宣言」をしたのとよく似たノリである。

安倍晋三は、日本人も対テロ戦争に知らん顔をしていては済まされない空気を国民にたいしてあおる必要がある。
これで日本も晴れてアメリカの主導する世界的な対テロ戦争に参加できる。
アメリカのプレッシャーで、中東に出向き、なんだかわからないが、日本も対テロ戦争の仲間なんだよと顔見世をして歩き、すでに11月には、後藤氏の家族に身代金要求のイスラム国からのメールが再三届いていたのにもかかわらず、極秘にさせて何もせず、中東行脚をしたのだ。
中田考氏や常岡浩介氏といった、イスラム教徒でその道の専門家、イスラム国にも通じているタフガイたちが、人質救出の手助けを申し出ているにもかかわらず、無視をしているのは、人命よりもだいじなことの推進のために、救助など何もしたくないからにちがいない。

ISISはそんな安倍の動向をちゃんと見ていて、アメリカの傀儡安倍政権の望むように事を運んでいるように見える。
アルカイダもイスラム国も、アメリカが対テロ戦争を遂行するためにCIAが工作して推進しているプロジェクトである。わたしはそう信じている。
アメリカの軍需産業は、イスラエルと結びつき、NATOをリードし、われわれ日本人には考えられないくらい巨大な産業体である。
アメリカ国民の税金の20%が、これらの産業の資本家や投資家(いちばんはイスラエルを支持するユダヤ金融資本)の懐に行くのである。
手を変え品を変え、敵を作りつづけなければならないのだ。





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# by keiorihara | 2015-01-26 17:10 | 日本とアメリカ | Trackback | Comments(3)
2015年 01月 23日

不自由な日本語 5 ー You と あなた

Green Point, Brooklyn


<不自由な日本語 5>

英語の<you>はとても便利なことばだ。
ふしぎなことに、日本語の「あなた」という言葉は、優しい音色をもっているのに年上の人にたいして使えない。

目上のひとで相手をなんと呼ぶかわからないときに、つまり名前で呼ぶか役職、役割名で呼ぶかなど戸惑うときに、「あなた」が使えたらどんなに便利かと思う。
あるいは、話しながら相手の名前を思い出せないときも、とても困る。
同等と目下の相手には、あなた、あんた、君、お前、貴様、てめえ、、、といろいろあるのに、目上の人を呼ぶ代名詞はない。

日本語には < I >と < You >という人称代名詞がない。
どこにいても、誰と話しても、”個人としてのわたし”である<I > 、そして、どこにいても誰と話しても、”相手としてのあなた”である<You>という、とても便利な代名詞がない。

英語の I やYouは、それは代名詞なのでいつでも一つ。
たった一つであるがゆえに I とYouはいつでも対等である。少なくとも、言語の上ではまったく対等だ。
どんな相手であれ、どんな場であれ、I とYouで会話ができる。
相手が何者であろうが、どんな年齢の人であろうが、どういう関係であろうが、「わたし」やら「あたし」やら「ぼく」やら「おれ」が語るときはいつでも<I>であり、話す<相手>はいつでも<You>である。

日本語ではふつう、よほど許し合う関係でないかぎり、年上の人に”あなたは、、、”というふうに言えない。
しかし反対に、親しみがなく、ごく公的な社会関係のとき(たとえば裁判とか、議会とか)には使えるし、という複雑さもある。
親は親しい間柄であるが、子どもは親にやはり”あなた”とはいえない。
(もちろん意識的に家族関係をつくろうとして、別の言葉のルールを作っている家族もいるので、それは除外して、これから語っていくのはごく一般的な場合である)
”あなた”の代わりに、役割や職業上の役職名や個人名をいちいち入れなければならない。
お母さんは、、とか、おじさんは、、とか、社長は、、とか、村上さんは、、とか。
この関係で”あなた”を使うときは、けんか腰で相手をとがめるとき、だったりする。
だから、役割名や個人名がわからないときは、ほんとうに困る。
”お宅”という言葉はあるが、やはりまた、目上の人に使うのはなかなか難しい。

とくに子どもの年齢だと、あらゆることが難しい。
例えば、大人の女性と子どものあなたが会話している場面。
「誰と一緒に行きたいの?」あるいは「誰のことを話してるの?」何でもいい、そう聞かれて、Youと答えれれば簡単だけど、日本人の子どもは困ってしまう。
子どものあなたは、相手の女性の名前を知らない。所属もよくわからない。
おばさん、というには、そんなタイプじゃないし、しっくりこない。お姉さん、というには歳がいっている感じで、ちょっとちがう。
しかし、あなた、という言葉は子どもの辞書にはない。
Youのような便利な言葉がないのだ。
そこで、子どもはどうしようかと、口をつぐんでしまう。または、この人、と指差しをする、、、まるで幼児のような態度である。
日本の子どもや青少年がみな子どもっぽく見えるのは、こんなことばの問題もあるように思う。


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# by keiorihara | 2015-01-23 17:51 | 日本語と英語 | Trackback | Comments(0)


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