2015年 01月 26日

日本の対テロ戦争

Green Point, Brooklyn


<不自由な日本語>、なんて脳天気なことを書いているあいだに、シリアではISIS(アイシス、イスラム国)によって日本人二人が拘束され、ウェブ上で安倍首相を名指して身代金要求(さもなくば殺害の予告)をする動画が配信されて日々落ち着かなかった。
最初のニュースでは二人の経歴や人柄などが紹介され、その時点で何か臭うぞと思ったが、そのうち一人が殺害され、もう身代金はいらない、ヨルダンで捕まっている同志を解放せよ、という要求に変わった。
そんなわけでニュースを追っていながらそのことに触れず(いつもはその態度だけれども)、日本語の話だけを書くのもつまらないので、このテーマはときどき飛ばしてもいいことにしようと思った。

ところでウィキペディアの経過報告を読んだだけでも、安倍首相が人質(湯川榛名氏)を救出するために去年の8月からまったく何もしなかった、そして今も何もしていない、ということがよくわかる。
なにもしないどころか、イスラエルを訪問、テロと戦う日本を宣伝し、イスラム国対策に2億ドルを約束し、エジプト、ヨルダンやパレスチナ自治政府にもおもむき、お手柔らかにと金をばらまき、恐ろしくISISを刺激して歩いている。
しかし、後藤健二というジャーナリストは、湯川榛名を助けに行くという名目で無謀にもイスラム国の領域に入っていったのだが、じつはNHKのための取材だったようだ。
NHKは今では安倍政権下の御用報道機関である。(といって、組織の問題と、ニュースに関してのみ言っているのだが)

20日の身代金要求の動画が配信されたあと、わたしはニューヨークの日本領事館からメールを受け取った。
領事館に在留届を出しているすべての日本人に送る緊急警報メールだ。
「(前後省略)、、今回の事案が発生したことにより、日本人がテロ・誘拐等のターゲットになり得ることが改めて明らかになりました。」
パリの出版社の襲撃事件のあと、フランス政府が「テロとの戦争宣言」をしたのとよく似たノリである。

安倍晋三は、日本人も対テロ戦争に知らん顔をしていては済まされない空気を国民にたいしてあおる必要がある。
これで日本も晴れてアメリカの主導する世界的な対テロ戦争に参加できる。
アメリカのプレッシャーで、中東に出向き、なんだかわからないが、日本も対テロ戦争の仲間なんだよと顔見世をして歩き、すでに10月には、後藤氏の家族に身代金要求のイスラム国からのメールが再三届いていたのにもかかわらず、極秘にさせて何もせず、中東行脚をしたのだ。
中田考氏や常岡浩介氏といった、イスラム教徒でその道の専門家、イスラム国にも通じているタフガイたちが、人質救出の手助けを申し出ているにもかかわらず、無視をしているのは、人命よりもだいじなことの推進のために、救助など何もしたくないからにちがいない。

ISISはそんな安倍の動向をちゃんと見ていて、アメリカの傀儡安倍政権の望むように事を運んでいるように見える。
アルカイダもイスラム国も、アメリカが対テロ戦争を遂行するためにCIAが工作して推進しているプロジェクトである。わたしはそう信じている。
アメリカの軍需産業は、イスラエルと結びつき、NATOをリードし、われわれ日本人には考えられないくらい巨大な産業体である。
アメリカ国民の税金の20%が、これらの産業の資本家や投資家(いちばんはイスラエルを支持するユダヤ金融資本)の懐に行くのである。
手を変え品を変え、敵を作りつづけなければならないのだ。





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# by keiorihara | 2015-01-26 17:10 | 日本とアメリカ | Trackback | Comments(2)
2015年 01月 23日

不自由な日本語 5 ー You と あなた

Green Point, Brooklyn


<不自由な日本語 5>

英語の<you>はとても便利なことばだ。
ふしぎなことに、日本語の「あなた」という言葉は、優しい音色をもっているのに年上の人にたいして使えない。

目上のひとで相手をなんと呼ぶかわからないときに、つまり名前で呼ぶか役職、役割名で呼ぶかなど戸惑うときに、「あなた」が使えたらどんなに便利かと思う。
あるいは、話しながら相手の名前を思い出せないときも、とても困る。
同等と目下の相手には、あなた、あんた、君、お前、貴様、てめえ、、、といろいろあるのに、目上の人を呼ぶ代名詞はない。

日本語には < I >と < You >という人称代名詞がない。
どこにいても、誰と話しても、”個人としてのわたし”である<I > 、そして、どこにいても誰と話しても、”相手としてのあなた”である<You>という、とても便利な代名詞がない。

英語の I やYouは、それは代名詞なのでいつでも一つ。
たった一つであるがゆえに I とYouはいつでも対等である。少なくとも、言語の上ではまったく対等だ。
どんな相手であれ、どんな場であれ、I とYouで会話ができる。
相手が何者であろうが、どんな年齢の人であろうが、どういう関係であろうが、「わたし」やら「あたし」やら「ぼく」やら「おれ」が語るときはいつでも<I>であり、話す<相手>はいつでも<You>である。

日本語ではふつう、よほど許し合う関係でないかぎり、年上の人に”あなたは、、、”というふうに言えない。
しかし反対に、親しみがなく、ごく公的な社会関係のとき(たとえば裁判とか、議会とか)には使えるし、という複雑さもある。
親は親しい間柄であるが、子どもは親にやはり”あなた”とはいえない。
(もちろん意識的に家族関係をつくろうとして、別の言葉のルールを作っている家族もいるので、それは除外して、これから語っていくのはごく一般的な場合である)
”あなた”の代わりに、役割や職業上の役職名や個人名をいちいち入れなければならない。
お母さんは、、とか、おじさんは、、とか、社長は、、とか、村上さんは、、とか。
この関係で”あなた”を使うときは、けんか腰で相手をとがめるとき、だったりする。
だから、役割名や個人名がわからないときは、ほんとうに困る。
”お宅”という言葉はあるが、やはりまた、目上の人に使うのはなかなか難しい。

とくに子どもの年齢だと、あらゆることが難しい。
例えば、大人の女性と子どものあなたが会話している場面。
「誰と一緒に行きたいの?」あるいは「誰のことを話してるの?」何でもいい、そう聞かれて、Youと答えれれば簡単だけど、日本人の子どもは困ってしまう。
子どものあなたは、相手の女性の名前を知らない。所属もよくわからない。
おばさん、というには、そんなタイプじゃないし、しっくりこない。お姉さん、というには歳がいっている感じで、ちょっとちがう。
しかし、あなた、という言葉は子どもの辞書にはない。
Youのような便利な言葉がないのだ。
そこで、子どもはどうしようかと、口をつぐんでしまう。または、この人、と指差しをする、、、まるで幼児のような態度である。
日本の子どもや青少年がみな子どもっぽく見えるのは、こんなことばの問題もあるように思う。


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# by keiorihara | 2015-01-23 17:51 | 日本語と英語 | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 15日

不自由な日本語 4

Green Point, Brooklyn



クイーンズの自分の家の周辺から写真を撮り始め、勝手気ままに思うことを書いてきたが、写真と文章をどうじに掲載していくのはいろいろと問題を抱えることになる。
まず、写真を選ぶときに、話の書ける写真、あるいは物語れる写真のシークエンス、を選ぶ傾向ができる。
選んだ写真にキャプションを書くのは楽で、かつ楽しいことなので、それに甘んじて、その傾向をつづけてしまう。
ニューヨークはどこを歩いても絵になるし、発見があるので、その行為は無限につづけることができるだろう。
読者もそれなりに楽しんでくれているように思う。

しかし、じつは、写真というのは本質的に、言葉で説明できないものが多いのだ。
そういう写真が山のようにたまっていることに気づいて、その処置にほとほと困っている。
そしてまた一方、自分の書きたいこと、伝えたいこと、というのは、物語やすい写真のあとではなかなか始められない。
しかし、わたしには書いていきたいテーマがいくつかある。それがなかなか始められないでいる。
写真のストックをあちこち眺めては逡巡、そんな新年このかたであった、という、更新が遅れた言い訳である。

日本語については <不自由な日本語>と題してこれまで3回、主に、差別語である日本語という点で書いたけれど(カテゴリ=「日本語と英語」参照)、つづきを書いていきたいと思う。
日本語の問題にこだわるのは、ひとつはわたしはアメリカ人と結婚して10年たつが、コミュニケーションの仕方の問題で日々文化摩擦を繰り返していて、日本語について考えざるをえない状況に直面しているからだ。
これが、うんと若いうちに英語をマスターしていれば、英語を話す時と日本語を話すときは、すっかり人格を変えて(という言い方が酷ならば、完全に頭を切り替えて)話すということを自然にやれる。つまり、英語が”身についている”ということだ。
しかしわたしのように、日本人との結婚生活も経験し、仕事を通して日本で長いあいだ社会生活をし、年をとってからアメリカに移住し、そのうえで英語を学びながら英語の生活を始めるというのはなかなかすんなりいくものではなく、首を傾げながら、ちがいを理解して、ひとつひとつ受け入れていく類のこととになる。
だから、若い時に英語を身につけて、苦もなく英語を喋っている人なら意識しないようなことを意識することとなる。
日本人は、自分たちのことを誤解しているのではないかと。

もうひとつは、日本でいわれる、国際化ということを考えるとき、つまり、なぜ日本はいつまでも国際化できないのか、と考えるとき、わたしは、日本語の問題が関係しているのではないかと思わないではいられないのだ。そのことまで到達できるかどうかわからないが、少しずつ書いていきたいと思う。








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# by keiorihara | 2015-01-15 15:43 | 日本語と英語 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 21日

サニーサイドの寒い夜

サニーサイドからクリスマスカラーに彩られたエンパイアステイトビルディングを望む。


今年ももうすぐ終わろうとしています。
アメリカではこの夏、ミズーリ州ファーガソンで、無防備の黒人青年マイケル・ブラウン君(18歳)が白人警官に撃ち殺されて、人々がデモを始めたのでニュースになっていましたが、11月24日に、大陪審がその警官を不起訴にしたので、街中で暴動が起き、全米170以上の都市にデモが拡大しました。
その間にニューヨーク市スタテン島でも白人警官に黒人が射殺される事件があり、またオハイオ州ではモデルガンを持って公園で遊んでいた12歳の少年が突然白人警官に射殺されています。
日常茶飯にそのような事件が起きていることが露呈し、黒人の怒りが久しぶりに集団化して、クリスマスどころではない気分です。
警官たちは正当防衛を主張しているわけですが、その根拠は、「黒人を見たら犯罪者と思え」「殺される前に殺してしまえ」という警察官(あるいは世間一般の差別主義者たち)の黒人に対する恐怖、とか防衛本能というもの。
それにしても、打ち止めた相手にたいして9発も打ち込むというのは、ダダの防衛ではないし、その事実だけでも異常なことなのに、警官が白人で被害者が黒人だったら、まずはその警官は起訴されない、という裁判がまかり通っているという現実のほうに、底知れない恐怖を感じてしまいます。








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# by keiorihara | 2014-12-21 20:44 | Queens | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 05日

韓国教会  Korean Church

前回の映画館の向かいにあるコリアンの教会。ここは今は十字架が消え、貸しイベントホールみたいなものに変わって、チベット人のグループなどがよく集まりをしているようです。


クイーンズのコリアンチャーチの外観はとても特徴的です。十字架が大きい、または、建物が教会らしくない。あるいはその両方。
それと、これは全米中にいえると思いますが、韓国教会には大きく2つのタイプがあります。

ひとつは、韓国のシャーマニズムが入っているもの。この場合、信仰は熱狂的といえると思います。うちの角のコーヒーショップの2階も韓国教会ですが、しょっちゅう凄い合唱、というか雄叫びのような声が聞こえてきます。これは明らかに、このタイプのキリスト教でしょう。

もうひとつは、教会が信仰の場というよりも、どちらかと言うとコミュニティの場として機能しているもの。

ジョージア州アセンズ市に住んでいたとき、ジョージア大学教育学部のコリアンアメリカンの女子大学院生に英語発音を習っていたことがあり、あるとき、その妹さんの結婚式によばれ、 おもしろい経験をしました。
彼女たちの実家があるアトランタの韓国人住宅地域の教会は、200人近い参列者でいっぱいでしたが、おどろくことにそのほとんどがコリアン。日本人には考えられない同族意識です。
日本人だと、アメリカでは日本人同士はあまり固まりたがらないように思います。新郎新婦はアメリカ生まれで、韓国語は話すことはできても、読み書きもできないというくらいの人たちなのに。
司祭が英語と韓国語で聖書の言葉をのべます。賛美歌、聖餐式、純粋に西洋式キリスト教の儀式でした。

そのあと、となりのホールで披露宴。ビュッフェ式にならべられた料理はすべて手づくりの韓国料理。プルコギ、ナムルをはじめ、韓国風餃子、稲荷ずし、太巻なんかもあります。もちろん、キムチ類もたくさん。
舞台では、新郎新婦と付き添い人の若者たちが、いろんなイベントをやって楽しんでいます。
終わると、驚くようなスピードで、つまりほとんどの参加者が同時に動いて、椅子やテーブル、すべてがあっというまに片づけられます。いつもやっている要領で、というかんじです。
そんなとき、友達が私を奥の部屋に呼んでくれました。

そこは家族の控室のようなつくりの部屋で、奥に赤い毛氈をしいて、金屏風と低い御膳と座布団がしつらえられています。
祭壇のようなものに先祖の位牌とたくさんのお供え物がならんでいます。
そこに、新郎新婦の両親がチョゴリを着て、金屏風の前に座ります。
まもなく結婚式正装の派手なチョゴリを着た新郎新婦が登場して、両親とご先祖様に、両手、両膝、額をついての三拝。在日韓国人の家庭で見たチェサとそっくりです。
キリスト教会の裏の部屋、なんだか、隠れキリシタンのようではありませんか。
キリスト教は、原則は先祖崇拝を許しません。しかし、韓国人はご先祖様、両親を敬う、そのことを捨てなくても、基督教会のメンバーになれるのです。

これまたジョージアでのこと。私たちが住んでいた借家の1軒隣りに、韓国人の家族が引っ越してきました。
中学生の息子と娘、それと息子の友達という3人の子どもと移住してきた30代後半とおぼしき奥さま。越してまもなくのある日、バケツを借りにきたことからつきあいが始まりました。(バケツを借りに来るお隣さん、っていいなと思ったのです)
お宅に遊びにいくと、韓国から移民してきたばかりだというのに、適当に良い応接セットや食卓テーブルや大きなテレビや電化製品が、すっかり整っています。子どもたちは学校に行っています。話してみると、英語はかなり拙い。
旦那さんはまだ韓国で仕事をしていて来ていません。さて、これらのことをひとりでやったのでしょうか。

そこで、クリスチャンかどうかを聞いてみたら、イエスで、アメリカに移住するためにクリスチャンになったのよと、ためらいのない返事です。
「じゃあ、信仰ではなく、コミュニティに入るためね?」と聞いたら、これもきっぱりイエス。
移民ヴィザに始まり、住居の用意、子どもたち全員の市内名門私立への入学手続き、家具の紹介(教会メンバーからのセコハンで、聞いてみたらすごい安さ)などなど、すべて教会にやってもらった、という話でした。
韓国プロテスタントのいちばん多い宗派は長老派ですが、クリスチャンになることは教会のメンバーになること、そして教会のメンバーになるときには信仰を問わないところが多いようです。

ところで最近読んだ本の中で、80年、光州事件とよばれる5.18光州民主化運動からつづいた韓国の激しくも地道な民主化運動をリードした人にはクリスチャンが多く、また1910年の日韓併合のころから、クリスチャンの民族主義者が抗日運動を指揮したこと、韓国人の自主独立の精神、近代化を育くんだのは、キリスト教によるところ大ということが書かれていて、目からうろこでした。

87年のソウルに集まった大統領直接選挙を要求する100万人の市民の、激しい民主化デモの様子をテレビで見ながら、これはすごい! 命がけだ、と思ったものでした。
過激になるとむしろ軍隊化の様相をていする日本の反体制運動とくらべて、この人たちのは革命に似ている、揃いのヘルメットなんてかぶってないし、人の動きに自由さがあふれていました。
アメリカのキリスト教は政治的にはほとんど保守陣営に帰しているし、もちろんそうでない人たちもいるのですが、信仰にたいする私の偏見もあって、歴史を見るときに宗教のことを差し引いて考える傾向がある。(ほんとはアメリカでも、宗教は大きい問題なのに)
しかし、おとなりの韓国の現代史を知ろうとするときにも、キリスト教との関係は見落とさない方がいい、と思いました。おとなりの国なのに、まだまだ知らないことがたくさんあります。


左隣の教会はルーマニア人の教会

ここも以前は企業の建物だったような気がします。しかし壁の十字架が巨大。


この建物は以前倉庫だったのかもしれません。












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# by keiorihara | 2014-12-05 17:27 | Queens | Trackback | Comments(0)


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