折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

keiorihara.exblog.jp
ブログトップ
2012年 02月 14日

番外篇ー津波被災地を旅して The extra issue-Travel to the tunami stricken area

a0215638_10202864.jpg
宮城県名取市


東日本大震災の被災地を、遅ればせながら訪ねた。一応カメラは持っていったがブログには載せないつもりでいた。
ニューヨークでの写真行為とはぜんぜん違うことに思えたし、だいいち、このブログのタイトルは「ニューヨーク写真日記」なのだから。
でも、なんだか、そのままにしていると落ち着かなく、先に進めない感じがつのる。
あまりにも遠いところに暮らし、マグニチュード9.0も経験せず、ネットのニュースやユーチューブだけで知った震災。震災1ヶ月目に帰国した時にまとめてテレビを見たが、やはり体感したかった。
そしてそれはとても大きな体験だった。
そこでこれは、またまた特別番外篇である。


a0215638_10194076.jpg
仙台市若林区
更地になった土地にポツンポツンと家が残っている。
左側の母屋は1階は筒抜けで、右側部分はすっかり無くなっている。
目に留まったのは2階の中央の窓にならぶいくつかの縫いぐるみ人形。窓は開けはなれて人の気配はないが、入り口の隅にプラスティックの盥と水タンクがおかれている。被災後に、この家の人はこの2階でしばらく暮らしていたのだろうか。しかし、いけどもいけどもコンビニひとつ残っていない。

a0215638_1021260.jpg
宮城県石巻市南浜町
実際に被災現場に立って思う。写真というのは、その奥行き、距離感、というものが写らない、ということ。この荒涼とした風景を伝えるには、360度の視界と、奥行きの写るカメラ(そんなものがあれば)が必要だと思う。
左側の建物には、大きな文字で「めだかの楽校」という看板が残っていた。高齢者のためのデイケア、リハビリセンターだった。

a0215638_6563812.jpg
石巻市門脇町
このあたりは洒落た店もある密集した住宅街だったようだ。
建物のために今まで見えなかっただろう小高い山を、どの更地からでも見ることができる。

a0215638_6574953.jpg
石巻市立門脇小学校
津波のあと、火災で燃えた校舎。

a0215638_73128.jpg
日和山公園より石巻市門脇町周辺をのぞむ。
ここには写っていないが、海からずっと離れた石巻市街地、市役所、商店街も全面的に浸水し、今はきれいに片付いていたが、ゴーストタウンのようだった。いくつかのホテル、居酒屋などはぼちぼちオープンしていて有り難かった。

a0215638_745671.jpg
宮城県女川町
女川街道から、市街地に入る。この町を襲った津波は15メートル。死者+不明者が945人(宮城県災害対策本部12/7)町人口の1割近い人が亡くなった。また家屋の全壊、半壊は7割にものぼる。

a0215638_753615.jpg
宮城県女川町
女川町立病院の丘から市街地をのぞむ。ここは低階層といえども鉄筋コンクリートビルの建ち並ぶにぎやかな市街地だった。15mの津波は谷の奥2キロ以上を襲い、町は壊滅的な被害を受けた。
左手に見える建物は、水産と観光の町、女川町の観光物産販売施設「マリンパル女川」
新しいモダンなビルは堅牢だったが、1メートル以上の地盤沈下のため冠水を繰り返している。(ちなみに女川原発はここから車で25分の半島の突端)


石巻市で、友人の教え子である若い女性に会った。
震災直後から9月まで、ボランティアとして東京から通った。
がれき撤去、悪臭を放つヘドロ除去、それが最初のボランティアの仕事。
不明者がいる以上、重機でがれきを掘り返すことはできない。重労働である。ことに小柄な彼女のこと、たいへんな作業だったと思う。
そのうち、NPO「石巻災害復興支援協議会」で会計ができる人をさがしていて、
彼女が東京の会計事務所に勤めている人だと知られ、声がかかった。ここで働いてくれないかと。
一にも二にも無く返事をした。東京の住居を引き払い、石巻の住人になった。
彼女をこんなにも引きつける、ボランティアとその組織での仕事の面白さは、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書) を読めば納得できる。
ここには自治体の穴を埋めるボランティアではなく、行政と対等に、あるいは復興の主体となって人を組織し、行政と連携して働いたボランティア組織の大きな存在があった。4000人近い死者+行方不明者を出した石巻市は人口16万人、全国から半年で延べ10万人のボランティアを受け入れたという。

震災直後の気が遠くなるような瓦礫の山を思い起こすと、この見事に片付いた更地の風景は、震災の爪痕の大きさを示すよりもすでに、再生の道を歩む人びとの、その力の大きさを感じさせてくれるものだった。
[PR]

by keiorihara | 2012-02-14 04:01 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://keiorihara.exblog.jp/tb/14650280
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< ロングアイランドシティ  Lo...      ロングアイランドシティ  Lo... >>