折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2013年 06月 19日

ブルックリン北の壁画、福島第一原発事故のこと  Murals in North Brooklyn

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福島の原発事故の現状と放射能に関して、興味深い話がユーチューブにたくさんアップされている。
科学者の話を聞き、原子力規制庁の役人の住民に対する態度を見ていくうちに、どうしようもなく気持ちが消沈し、言葉を失ってしまう。

まず圧倒的によくわかる福島第一原発の現状と将来については、核燃料化学の学者(元中央大学教授)舘野淳氏の話(インタビュアーはビデオジャーナリストの神保哲生氏。2013年3月16日)。原発ウォッチしている人には、特別知ることではないかもしれないけれど、原子力発電所が今と将来に抱える問題が、ものすごくわかりやすく総合的に語られているので、ぜひ時間をとって(1時間20分)視聴されることをお薦めします。

放射能と被ばく問題に関しては、見て行くうちに二つの腹の立つビデオ記録に出会った。
ビデオがいきなり始まるので誰が何処で行ったものかわからないのだが(平和と民主主義をめざす全国交歓会より、2013年4月17日と記されている)、福島県民に呼ばれる形で、環境省環境保健部放射線健康保険担当参画室から二人の若い役人が席に着いている。福島県がおこなった県民健康管理調査で、38000人の子供から3人の甲状腺がん、7人のがんの疑いが出たという結果から、環境省に緊急要請を出し、それに応えるという形で、この会が開かれたようだ。内部被ばくの問題である。
それと同じ問題の別の会で、環境省原子力規制庁監視情報課の専門職という役人1人が呼ばれて、応えているビデオ。
どちらもまだ若い男性で、これからもいろんなことを勉強して吸収して行ける若さだというのに、ただただ、言い訳と、ここではお応えしかねますのくり返し。最低限の言葉もないような、この場を早くやり過ごしたいという気持ち見え見えの態度。
そもそも、省庁の国家公務員というのは、国民のために、国民が望んでいることを実現するために働く仕事ではないのか。しかし、彼らには目の前で苦しんでいる福島市民が敵に見えているとしか思えない。何のために来たのか、問題に取り組む気はありません、という態度。
「健康調査の結果は、個人情報なので、個々人にお返事しています」
しかし、人びとは、どの地点で放射線量が多く、どの地点で甲状腺がんの疑いの子供が出ているのか、せっかくやった健康調査の”統計的データ”が欲しいと言っているのだ。
放射線量の統計的データを公表する気はあるのか、という質問に、「議論は進められていますが、現時点ではいつとは言えません」
問いつめられて、やっと、「将来的には検討委員会で検討されると思います」と、人ごとの返事。
環境省は健康検査の責任はあるでしょう、と言うような発言に、「福島県が県民の健康を管理するために検査していて、環境省が ”支援” をしています」と。
まるでことの重大さがわかっていない。人ごとなのだ。
そういう口ぶりになってしまう。それは、原子力保安院を味方につけ、東電の儲けと原発の利権を後押し、どころか積極的にすすめて来た政府行政が、事故の自らの責任を認めてないからだ。責任を認めて、事故の後始末に全面的な責任を持つ決心をしない限り、キャリア官僚はすべて、この卑怯な態度から逃れられないのだろう。気の毒である。
内部被爆の発現という、もっとたいへんなことがすでに起こり始めているのだ。これからどうすればひとりでも多くの人の命が守れるか、という大問題の中に自分が立っているという自覚がない。官僚というエリートコースに乗った人間が、そこから落ちないために、人間としてひどく見苦しい生き方をしている。
それを自覚している若い官僚はいるにちがいない。気の毒である。しかし、皆、そういう異常な世界(日本の官僚というシステム。中央官庁というゆりかご)

お役所の掟―ぶっとび霞が関事情 (講談社プラスアルファ文庫)

宮本 政於 / 講談社

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に生きていることを、これを機会に、もう少し変えたいと思ってもいいのではないかと思う。

しかし、何を問われても「それはここでは何とも言えません」では、人びとが時間やエネルギーを使って集まっていることに対して、ものすごく失礼である。
「健康検査した画像と証明書を本人に渡し、県外避難地でもどこででも、その証明書を医者に見せて、継続的に検査ができるようにしてほしい。最初の検査から継続的なデータが必要ですよ」「被爆によって染色体異常がこれから出てきますよ、それなのにその検査がやられていない」と、丁寧に説明しながら要望をしているのに、「現時点でお応えできません」という言葉しか知らないのだ。
どうして「お話はよくわかりました。その点は庁にもどって検討させていただきます」と言えないのか?
「この話は、話し合っていただけますね? 持って帰っていただけますね?」と、問いつめられて、やっと、
「少なくとも課長には伝えます」と応えるのみ。
自分の頭で考えて答えることができない。ことの本質はなにかを見定め、その地点に立って、ものを考えることができない。

自分でわからなければ人に聞く。情報交換する。会議する。意見を言う。議論する。
こんな当たり前のことがきっとないのだろう。上からのお達しに従う、この国は江戸時代から何も変わっていない。
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by keiorihara | 2013-06-19 10:14 | Brooklyn | Comments(0)


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