折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2013年 08月 19日

サニーサイドからエンパイアステイトビルを望む / 不自由な日本語2

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サニーサイドからエンパイアステイトビルを望む The Empire State Building, as viewed from Sunnyside

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<不自由な日本語  2>

ニューヨークに住み始めてまもなくのころ、ネットでおもしろい英語クラスを見つけて通った。
一人のベテラン英語教師が、NY市に申請して、市から給料の支払いを受けて成立させた独立無料クラス。
生徒は当然外国人ばかり常時20人くらい。教室はNPOが運営している教育プログラムの建物の一室を借りている。中庭を挟んでいるので風通しもよく、静かで抜群の環境である。
教師というのがなかなかのインテリで、社会問題、国際関係などからのトピックをかなり深く突っ込んで語り、そのあと、" How do you think?  Discuss! " と投げかける。生徒たちは近くに座った数人でグループを作り、その話題について議論をする。それがパターン。

その中に若い日本人の女性がいて、そのひととは頻繁に同じグループになり、いろんなことを英語で話した。
商社マンの夫の転勤で、彼女は会社をやめて一緒にニューヨークに来ていた。クラスの中では英語を話すように言われていたし、私たちもそれをよしとしていたので、休憩時間も、クラスの帰りに二人きりになっても英語で通していた。それはけっこう楽しい語らいだった。日本人同士だから、拙い英語で話していてもどんなニュアンスも伝わってしまうのだ。
社会問題にとどまらず、たとえば人間関係の心理的な話、夫婦関係や会社関係の話を英語ですると、とてもわかりやすく、英語自体が持つ論理力に助けられて、元商社勤めの若い人と、ほとんど同じレベルで人間関係、日本社会の話などができたのだ。つまり、とても頭の良い若者だった。

で、数ヶ月経ったある日の帰り道、日本の話をしていて、これは日本語で話したほうが早いと感じて、どちらからともなく自然に日本語に変換した。
ところが、そのとたんに若い日本人のクラスメートは、わたしにデスマス調で話し始めたのだ。
私はすごくショックだった。直前まで友達同士の会話をしていたはずのクラスメートから、突然、距離をとられたと感じた。

「そうよね、それって何々だよね」「ほんと、私もそう思う。それはこういうことじゃない?」という感じで、まったく平等な友達同士の会話をしていた、と思っていた(思い込んでいた)私は、日本語になったとたんに相手から「そうですよね。それは何々だからだと思うんですけど」という受け答えをされたのだ。
わたしはいつも通りの会話をしているのに、相手は私をかなり年上の人と見定め、デスマス調だけでなく敬語まで使って話されたのだ。このときの、あああ、何ということ、、、! という、夢から現実に突き落とされたような感じ、これは、経験したものでないとわからない感覚かもしれない。
私にとっては、まったく予期しない事件だった。
すごく寂しく感じた。私たちは友達だったのではないか。友達のように話してくれないと寂しくなっちゃう。私は彼女にそのことを正直に伝えた。
彼女は答えた。「いえ、わたしにとっては自然な日本語なんです。だって、ケイさんは年長者なんですから。そんなに意識する必要はないのじゃないかと思いますけど」と。確かに、それは正しいのだけど、、、

私は日本語でこうやって書いているし、「ニューヨーク写真日記」のブログを書き始めてから、いつも日本語が頭から離れなくなった。
日本語は脱力して話せる便利なよくできた言語だと思っている。日本語のいい加減さが好き、とも言える。当たり前である。日本語は私の母語であり母国語なのだから。それでもなお、日本語の嫌いなポイントは大きい。
それは、日本語が差別言語であること。

日本人同士が、いざ会話を始めるときには、瞬間的にというか無意識の領域かもしれないが、常に上下関係で話し方を変える。つまり、日本語の中には、つねに上下関係というものがある。
年上年下、上司部下、教師や聖職者や特別な役職の人、仕事上の関係とそうでない場合、近親の度合い、商売人と客、クライアントと請負い業者、、、昔は夫と妻、姑と嫁、と、際限なく、どちらが上かで話し方が変わる。その特別筆頭に皇室があるが。

私は相当に敬語が苦手で、敬語を使わずにすむなら、そうしてしまう礼儀知らずの人間である。
そういう私も、親しくない、あるいは社会的関係の人には年齢を問わずデスマス調を使うし、5歳よりもっと上の人と話す時は、どんなにいろんなことを話せる友情を感じる人でも、どうしても敬語になっている。
でも、時々、この人とはただ自由な友達関係なのだからデスマス調じゃないほうがいいなあ、と感じることがある。
でも、そう思っているのに自由になれない自分がいる。それは半分は自分のせいだけど、半分は日本語自体のせいである。
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by keiorihara | 2013-08-19 23:23 | 日本語と英語 | Comments(4)
Commented by シドニーのかおり at 2013-08-20 22:02 x
ふと、恵さんに私はあんまり敬語を使っていなかった...と思い出しました!私も礼儀知らずです...ごめんなさい!

英語の方が、たしかに二人称はひとつしかないから、カジュアルに話せる感じはします。ちょっとかじったスペイン語やフランス語には、二人称もカジュアルなのと丁寧なのと2種類あって、動詞の活用も違うので、ちょっと日本語みたいに、距離感の使い分けがあるな、と感じました。

英語でも、日本語とは違う方法で、敬語というか、丁寧に話す方法がある、とはるか昔、ならった記憶があります。それはwould、should、couldとかを使って、婉曲に表現する、というもの。要するに、距離感を出す訳ですよね。日本語は上下関係という、垂直方向での距離感をだす方法がたくさんあるけれど、英語は水平方向での距離感を、動詞の過去形や過去分詞を使って、出すんでしょうかね。。。??

と、ごちゃごちゃ書きましたが、たしかに英語で話すと偉そうなアメリカ人の知り合いは、日本語で話すとやたらに腰が低くてしおらしくなるのです。これは言葉自体の力かもしれないですね〜。



Commented by sato at 2013-08-21 11:35 x
アセンズのジョージア大学側の坂下から街のほうを見た風景を思い出した。
Commented by kei at 2013-08-22 02:16 x
かおりちゃん、あなたのような友達関係の若い人が、すぐにデスマスを外して喋ってくれるととても気分が楽で、嬉しいんですよ。そういうのは礼儀知らずではありません。
うーん。言葉の問題は短く書こうとするのは難しいですね。
ご指摘のように英語にも丁寧なものの頼み方や尋ね方、というのはあるけど、日本語のように上下関係によって変える敬語というのはない。英語の丁寧な、あるいは婉曲な言い方というのはぜんぜん別の話です。日本のタテ社会の構造の話をしないでいきなり言葉のことを話すのは、無理があったかもしれません。
複雑な問題を、簡単に書こうとするのは難しいですね。
Commented by シドニーのかおり at 2013-08-22 16:36 x
言葉の問題は複雑、たしかに。
「ことばと文化」でしたっけ?鈴木孝夫??なんだか本をいくつか思い出しました。

日本語の敬語って、謙譲語、尊敬語、丁寧語とある、と中学受験で叩き込まれましたが、相手との関係を上下関係でとらえないと、きちんと話ができない、つまり、日本語を話す時には、いつも相手と自分、どっちが上か下かを意識しないといけない不自由さがある、というのはわかります。

1人称、2人称も使い分けないといけないから。英語だと、そこは簡単で、I とyouしかない。相手と自分の位置関係をいつも上下でとらえなくて済んじゃう。

イギリスのパブリックスクール育ちの元上司は、英語はとってもきれいで、紳士的に感じたんですが、日本語になると、いきなり「俺」「お前」を使うので、いきなり違う人になったようでした!


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