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折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2015年 01月 15日

不自由な日本語 4

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Green Point, Brooklyn



クイーンズの自分の家の周辺から写真を撮り始め、勝手気ままに思うことを書いてきたが、写真と文章をどうじに掲載していくのはいろいろと問題を抱えることになる。
まず、写真を選ぶときに、話の書ける写真、あるいは物語れる写真のシークエンス、を選ぶ傾向ができる。
選んだ写真にキャプションを書くのは楽で、かつ楽しいことなので、それに甘んじて、その傾向をつづけてしまう。
ニューヨークはどこを歩いても絵になるし、発見があるので、その行為は無限につづけることができるだろう。
読者もそれなりに楽しんでくれているように思う。

しかし、じつは、写真というのは本質的に、言葉で説明できないものが多いのだ。
そういう写真が山のようにたまっていることに気づいて、その処置にほとほと困っている。
そしてまた一方、自分の書きたいこと、伝えたいこと、というのは、物語やすい写真のあとではなかなか始められない。
しかし、わたしには書いていきたいテーマがいくつかある。それがなかなか始められないでいる。
写真のストックをあちこち眺めては逡巡、そんな新年このかたであった、という、更新が遅れた言い訳である。

日本語については <不自由な日本語>と題してこれまで3回、主に、差別語である日本語という点で書いたけれど(カテゴリ=「日本語と英語」参照)、つづきを書いていきたいと思う。
日本語の問題にこだわるのは、ひとつはわたしはアメリカ人と結婚して10年たつが、コミュニケーションの仕方の問題で日々文化摩擦を繰り返していて、日本語について考えざるをえない状況に直面しているからだ。
これが、うんと若いうちに英語をマスターしていれば、英語を話す時と日本語を話すときは、すっかり人格を変えて(という言い方が酷ならば、完全に頭を切り替えて)話すということを自然にやれる。つまり、英語が”身についている”ということだ。
しかしわたしのように、日本人との結婚生活も経験し、仕事を通して日本で長いあいだ社会生活をし、年をとってからアメリカに移住し、そのうえで英語を学びながら英語の生活を始めるというのはなかなかすんなりいくものではなく、首を傾げながら、ちがいを理解して、ひとつひとつ受け入れていく類のこととになる。
だから、若い時に英語を身につけて、苦もなく英語を喋っている人なら意識しないようなことを意識することとなる。
日本人は、自分たちのことを誤解しているのではないかと。

もうひとつは、日本でいわれる、国際化ということを考えるとき、つまり、なぜ日本はいつまでも国際化できないのか、と考えるとき、わたしは、日本語の問題が関係しているのではないかと思わないではいられないのだ。そのことまで到達できるかどうかわからないが、少しずつ書いていきたいと思う。

by keiorihara | 2015-01-15 15:43 | 日本語と英語


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