折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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カテゴリ:番外篇( 2 )


2017年 12月 03日

番外篇 * 愛しのシリア 1990 第3回


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シリア砂漠にはところどころ、灌漑をして整然と開墾されたオリーブ畑や果樹園があった。


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Damascus ウマイヤドモスクで。



シリアの国外難民550万人、国内避難民650万人(2017/6 国連発表)。
シリアの人口が1800万人(2014)だから、これはものすごい数である。
そして国民の半数以上が住む家を失った。
死者は30万人以上、行方不明者をいれると43万人(シリア人権監視団という反政府軍側の組織による)

ユーチューブで、英語でSyria Before&After などと検索すれば、これを撮影した1990年と比べると、2011年のシリア爆撃直前のシリアの、経済発展と街の近代化のようすを見ることができる。
90年の旅の最も強い印象は、生活形態に時代の幅がものすごく大きいと思ったこと。
前近代と現代の交わり方がとても面白かった。量り売りの粉屋、石鹸屋、といった中世的な風景の中で携帯電話で話している人がいたり。
それらユーチューブの映像を見ると、スーク(市場)やモスクは古さを保存しつつも歩きよく美しく整備され、モダンビルが立ち並び、ロータリーが出来、何よりも新車が走っている!
そしてこの7年間で、それら古さも新しさもすべてが破壊されたのだ。中でもアレッポは全滅。。。

アメリカでは、シリアのアサド大統領は独裁者だということになっている。それは、アメリカ政府(もちろん民主党も)とそれに追従するマスメディア全部がそう言っているからで、なんの根拠も示されていない。
父アサドの時代だったが、私はただの旅人だったのだから、この国が独裁者によって統治されていたのか厳密なところでは断言はできないけれど、街や人びとが抑圧されている雰囲気はみじんも感じることはなかった。
他のアラブ諸国と比べるともっとも自由な国と呼べるのではないかと思った。

しかし、ユーチューブにはシリア戦争の真実とかシリア戦争とは何かと言った、真相に迫ったかなりの数の意見映像が投稿されているので、テレビを見てない多くのアメリカ人は、アメリカの蛮行に憤っている事がわかる。テレビを見ている半数くらいの人は、アサドは独裁者と思うのだろうけど。

思い出すのは二人の若者のこと。
「わたしが頭にヒジャブ(スカーフ)を巻いているのは、これが私には似合っているし好きだから。母はまったくかぶらないし。みんな好きなように着てるんですよ。宗教も同じ、まったく自由ですよ」と、わたしの質問に屈託なく答えてくれた若い女性。(彼女の写真はこのブログ第一回に掲載)
そして、通りで声をかけてきた青年のこと。「僕はシリア生まれだけど、両親がパレスティナからの難民だからパレスティナ人なんです。で、僕が大学に行けてるのは、パレスティナ人にはシリア政府から奨学金がもらえるから」と、シリアに住んでいることを幸運なこととして話してくれた。
また、たくさんの少数民族を抱えてもいて、シリアはきわめて多様性のある、また多様性を容認している国である。

当時は今の息子のバッシャール•アサドではなく、父ハーフィズ•アサドの時代だった。
アサドの所属するバース党(イラクのフセインと同じ)は、汎アラブ主義(イスラム原理主義ではない)政党で、統一、自由、社会主義を標榜し、ロシア、イランと良い関係を保っている。したがってイスラエルはもとよりサウジアラビア、カタール、湾岸諸国と敵対関係。ちなみにアラブ諸国の中では高水準の教育を実現している国でもある。
シリアは難問を抱えた五つの国に囲まれた国、ソ連/ロシアに国境防衛のための軍事援助を頼んできた。これだけでもアメリカがシリアを嫌う理由は十分だが、それだけでは戦争は起こせない。



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Aleppo


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Aleppo


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Aleppo城の入口付近 (デート中?と英語で聞いたら、口を揃えて嬉しそうにイエスと答えた二人)


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ここにも前後不覚のご婦人たち。


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奥はスーク(市場)/Aleppo


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 Aleppo


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Aleppo 仏植民地時代の建築が並ぶ
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Aleppo


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Aleppo


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Aleppo



アメリカ(正確にはアメリカ政府を動かしている米英の巨大資本家たち)がシリアをつぶしたい理由は、はっきりとしたものだ。
1950年代、ソ連はアラビアをアラブ人に支配させようと提唱したのに対して、アイゼンハワーは、アラブの自治が合衆国の石油利権を脅かす、としてはねつけた。ロバート•ケネディJr.(大統領選のさなかに暗殺されたロバート•ケネディの息子)が書いた文章「もう一つのパイプライン」(日本語訳)をぜひ読んでほしい。現在につながる合衆国のシリア介入の歴史と戦争について、つまり、なぜこんなひどいことがシリアに起こっているのか、が適度な詳しさで書かれている。(ちなみにロバート•ケネディJr.は、政治家や評論家ではなく、ニューヨーク市の環境保護NPOでハドソン川の環境汚染問題に取り組んでいる人だそうだ)

カタールからサウジアラビア、ヨルダン、シリアを通ってトルコまで、欧州諸国のための1500kmの石油/天然ガスのパイプラインを通すのに、どうしてもシリアを通過しなければならない。シリアが承諾しなかったために、1949年CIA のシリア干渉が始まった。

選挙で民主的に選ばれた大統領アルー•クワトリを、アメリカの言いなりになる独裁者アル・ザイムに置き換えた(アメリカのいつもの手口)。しかし1955年再度選挙でアルー•クワトリが大統領に選ばれた。彼は冷戦中立主義者だったが、相変わらずのアメリカの関与に苦しめられ、シリアは次第にソ連に傾いていった。

50年代アメリカCIAはサウジアラビア、ヨルダン、イラク、レバノンの暴君たちに軍事支援を湯水のように注ぎ込んだ。CIA はイラクで民主的に選ばれた大統領を追放し、サダム•フセインは ”CIAの列車にのって権力の座についた”。
シリア戦争もじつは、アメリカ帝国主義がおこしたもう一つの石油戦争なのだ。

とにかくアメリカは、誰がテロリストで何が民主主義かなんてことはどうでもいい、シリアという立派な独立国を消してパイプラインをつなげたい。アメリカに反旗ををひるがえす国は潰す、そのためにはどんな卑怯なやり方もためらわない。

2003年のイラク占領がスンナ派蜂起を引き起こすずっと前から、暴力的な聖戦主義をCIAが冷戦の武器として育成してきた。そしてついには狂気のテロリストグループ、アイシスISIS (イスラム国/ISIL) を育て上げた。大量の武器を送り、ポスト冷戦の軍事産業『テロとの戦い』を永久不滅の産業として確立させた。テロを恐怖のターゲットとする数々のテロ事件が、世界中に広まった。(少なくともこの事件は、注目に値する)

アサド政権打倒のために、反政府グループ(こないだまでアメリカが撲滅にやっきになっていたはずのアルカイダもその一つ)に武器を送り、そこから狂気のISISが生まれると今度はISISに武器や軍事資金を送り(これは、その事実を共和党の上院議員ランド•ポールがCNN,NBC で語った。2014年にはISISには20億ドル(2000億円)の収入があったと言われている。また、英ガーディアンはCIA がヨルダンの米秘密基地でISIS を訓練するようすを報じている)、つまり、どんな内戦があろうと、アメリカとその同盟国の空爆援護と大量の武器がなければ、ここまで国は破壊されなかっただろう。
ホムズ、アレッポ、パルミラ、、、私が旅した歴史ある美しい土地や街が瓦礫になってしまった。

しかし、どうやらアメリカはアサド政権を倒すことができなかった。
アメリカは負けているくせに、手を替え品を替え、シリア、イラン、とイジメをつづけるのだろうか。
(つづく)







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by keiorihara | 2017-12-03 18:15 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 11日

番外篇 * 愛しのシリア 1990 第2回

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ベドウィンの家族

ガイドのラフィックさんの運転する旧式のボルボは、パルミラに向かってシリア砂漠を砂ぼこりを立てて走りつづける。
ゴロゴロとした塊まじり、乾いた草まじりの固い砂の荒野は、お世辞にも美しい砂漠とは言えない。
車窓からは熱風が頬を叩きつける。

しかし、空は高く深く、空はあまりにも大きい。
すべての視界が空と砂だけ。重要なものは何もない。あるのは空間だけ。
わたしのような無宗教者にさえ、コーランの詠唱が確かに聞こえたような。。。アッラー〜〜アクバル!
かつてこれほど大きな自然の中に神の存在を感じたことはない。

ダマスカスから遠くはなれて、道路から荒野の向こうに小さくポツポツとテントが見える。
ラフィックさんに頼んで、道路をはずれて砂のなかをテントまでゆっくりと走ってもらった。
ベドウィンのホスピタリティについては読んだことがあったけれど、、、まぎれもなく、ほんとうにあまりにも自然。


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入れ墨をした女主人(彼女の堂々とした立ち居振る舞いの美しさ)



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まだ6〜7歳だろうか、弟を抱いた瞬間大人の顔になった



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一休みさせてもらった部屋 (どうやら、この家族または親戚じゅうで彼女が一番偉い人のようだ)




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ご夫妻 (水はラクダではなくエッソのトラックで。昔は国境なんて関係なかったからどこにでも行けた。けれど、いまはパスポートがいるので自分たちにも国境ができてしまった。子供も学校に行かなければならない。。。そんな話を聞いた)




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同行の詩人、吉増剛造さんとラフィックさんらに別れをする女主人。(吉増剛造氏の文章は雑誌掲載の後 ”されど静かなるシリア”(写真折原恵)と題して、単行本『越境者たち』(TBSブリタニカ刊)に収録された)
子どもたちが注目しているのは女主人(母?)彼女のふるまいを畏敬の念をもって学んでいる子ら。
男の子の、”自分が守る”という自負の態度。



ベドウィンとは、シリアからアラビア半島、北アフリカにもまたがるアラブ全域に存在する遊牧民のこと。
砂漠のテントに住み、羊やヤギを飼い草の状態で移動しながら繁殖、売買して暮らす。
1959年にはアラビア半島の四分の一の人口がベドウィンだったらしい。
しかし現在はアラブトータルで2000万人、シリアで62万人(2013, Wikipedia) と言われているが、実際はシリア30万人、アラブすべてで400〜500万人くらい、そのうち伝統的な暮らしを続けているのは実態で6〜7%だろうという話だ。(シリアー遊牧民篇)
つまり、都市に住み遊牧生活から離れても、自分のアイデンティティをベドウィンだと答える人がたくさんいるということだ。(反対に親がテントに暮らすベドウィンであることを隠している人もいるらしいが)

90年代のシリアの議会では、国会議員のベドウィンの割り当て議席は6議席で、これは人口の3%に当たった。
そして2010年の選挙では、国会議員の12%がベドウィン起源となった。
父アサド大統領も、ヨルダンやサウジに行ったベドウィンに、戻ってきて国の経済に投資するよう呼びかけていた。
議会にマイノリティ割り当て議席を持った国、どう考えても独裁者の国とは思えないのだけれど。



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by keiorihara | 2017-11-11 10:13 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)