折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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カテゴリ:USA( 18 )


2012年 04月 25日

オキュパイ霞ヶ関

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Gantry Park in Hunters Point クイーンズ、イーストリバー沿いのガントリーパークからマンハッタンを望む。正面は 国連ビル。



オキュパイウォールストリートのことをきちんと書こうと思い、ウォーミングアップのためにいろいろネットサーフィンをしていたら、日本のブログでかなりびっくりする記事を読んだ。(「ひょう吉の疑問」)(「新ベンチャー革命」)

24日、財政難を理由に消費税を増税しようとしている中で、約5兆円もの政府支出(献金)がIMFに対して行われた。
月末から5月2日まで野田総理がアメリカを訪問。30日の日米首脳会談で、オバマ大統領からお礼の握手をもらうのだろう。
そして26 日は小沢一郎裁判の判決の日。

これらはみんなつながっている。
日本ではオキュパイウォールストリートならぬオキュパイ霞ヶ関だろうか。  
省庁べったりの大マスコミは、彼らが何をしているか、何も報道していないらしい。
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by keiorihara | 2012-04-25 17:05 | USA | Comments(0)
2011年 12月 06日

「反格差運動」という言葉 (Photo)Grand Central Station

日本のニュースをネットで読むと、ウォール街占拠運動(Occupy Wall St.)のことを、格差反対デモとか反格差運動などと名付けている。
なんだろう、その名称への違和感は。

ただ格差に反対するという言い方は、ちょっと社会主義的な感じがする。
本来平等であるものを格差をなくせ、と言っているのようにきこえるからだ。
アメリカでは人権は平等であるべきだけれど、人の賃金や待遇が皆平等であるべきだという発想はもとよりないので、格差があることは前提であると思う。
つまり金持ちと貧乏人の差が大きすぎる、といって、その”格差”に反対しているのではないのだ。
”格差社会反対”なら少しは納得できるものがあるが。

問題は日本で使われている”格差”という言葉を、日本のマスコミは何の定義もせずに、何も考えずに、違う社会で起きていることに使っていることだ。
なぜ”ウォール街占拠”運動では、いけないのだろうか?  なぜ、ちゃんと翻訳をせずに外国映画に対してよくやるように、別の日本的な言葉に言い換えるのか。(映画に関してはそれが良いときもあるけれど)
格差反対という言葉は、ある法律の適用範囲に格差があるので反対、とか、男女賃金の格差に反対という場合には、意味があると思う。
しかし、たんに格差反対では、金持ちと貧乏人がいることに反対と言っているみたいで、アホみたいではないか。(実際、日本の新聞とネットニュースには何の追求の姿勢もなく、とても冷ややかな、あるいは馬鹿にしている口調である。)

なぜ、格差反対ではなく、”ウォール街を占拠せよ”なのか。
政治が99%の国民のためにあるのではなく、ウォール街を動かす1%の資本家層のためにおこなわれていること、1%の人間の富と権力のために99%の人びとが犠牲になっている、このような社会のシステム(体制)を変えよ、という運動だからだ。

高額所得者を優遇し低所得層を冷遇する税制。税金をしこたま取っているのに国の健康保険もない。医療費も薬代も信じられないほど高い。民間の健康保険も考えられないほど高い。なのに多くの疾病がカバーされない。保険会社が病院も医者をさえも動かしている。保険会社や製薬会社が政治を動かしている。オバマも保険会社や製薬会社の宣伝マンだ。
税金の20%が、武器を生産し貧しい国を侵略し弾薬を消費し人殺しをすることに使われている。兵士をリクルートするのが大変だから、つねに一定程度貧困層をキープしておかなければならない。軍隊に入れば大学だって夢じゃないよ、これが今でも殺し文句だ。(実際のところは入隊しても大学は夢の彼方だというが)

こんなことを書きはじめたらきりがないのでやめる。
言えることは、ウォール街占拠運動は、格差反対などというぼやけたものではなく、観念的なところのまったくない、きわめてポリティカルな、そして根源的な反体制運動であるということ。
民主主義なんてどこにもない、金と権力(ウォール街)が、政治を動かしていることへの異議申し立てなのだ

アメリカにいると、日本はきわめて平均化した格差のない国だと感じる。
日本ではバブル崩壊後の不況の深まりとともに(2005年以降だと思うけれど)、声高に”格差”という言葉が使われるようになったと思う。
でも、バブル期の方がはるかに格差があったように個人の経験からは感じるし、じっさい調べてみたらそのようだ。
一億総中流といわれながら突入したバブル期にも貧困はあったはずなのに、日本には貧困がないことになっていた。存在を認知されていなかった。それに私たちは、バブル期を楽しむのに忙しく、そういう事実をあえて見たいとは思わなかったのだ。
それがバブル崩壊後、不況がつづくにつれて少しずつ、たとえば湯浅誠さんら貧困者を助ける活動をしている人たちの努力などに負うことも大きいのかもしれないが、高度経済成長以後初めて”貧困”に光が当てられたように思う。
貧困の認知とともに、格差が浮かび上がった。

日本の格差は、本当に拡大しているのか、少なくともひと世代前より格差が大きいとはどうしても信じられない私である。
日本でも”反格差運動’があるらしいが、原発問題はじめ、変わらない日本、省庁が決める政治の問題を考えるとやはり、”霞ヶ関を占拠せよ”または”反霞ヶ関運動”こそ、本当のところをついている運動ではないかと思うが。

つぎからは、もっと身近なことを書くことにします。(こんなことをしつこく書くつもりじゃなかったのに、つい)

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グランドセントラル駅
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by keiorihara | 2011-12-06 13:00 | USA | Comments(2)
2011年 11月 30日

ワシントンDCと感謝祭 Thanksgiving Day in WashingtonDC

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感謝祭のお祝いにワシントンDCに住む夫の姪カップルの家に行きました。そこにお兄さん夫婦と私たち、それに別のお兄さんの娘がやってきて、みんなでローストターキーやクランベリーなどを料理して、感謝祭のディナーを楽しみました。
次の日はみんなで両親のお墓のあるアーリントン墓地に行きました。さすがにこの日は人でいっぱいでしたが、とにかく広大な敷地で、さっきまでぞろぞろ歩いていた人たちはどこに行ったの? というくらい広い。
ここには戦没者だけでなく、お義父さんのように戦争に従軍して国家に貢献した人たちが眠っています。
いちばん手前の墓銘の人は、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争に(三つも!)パイロットとして従軍しているようです。

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少し前までうっそうとした森だったところを切り開いて、墓地の拡大をしました。アメリカはこの空き地をさらに埋めつくすほど、まだまだ戦争をするつもりのようです。
遠くに見える白い塔はワシントン•モニュメント、右手の区画の向こうにペンタゴンが見えました。

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リンカン•メモリアルの真ん中にすわるエイブラハム•リンカン
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この第二期大統領就任演説を最後まで読んでいる人たちがたくさんいました。
義兄さんの奥さんはもそのひとり。「何度でも読みたいし、読んでおくべきだと思うから」と。
アメリカ人というのは本当に言葉、そして演説の好きな人たちだと思います。

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リンカン•メモリアルからワシントン•モニュメントを望む。ここは1963年8月、ワシントン大行進でのマーティン•ルーサー•キングJr.による,あの感動的な” I have a dream"の演説が行われたところ。ここだったのか、、、と感慨無量。これは何度でも聞きたい。

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私の見たワシントンは美しい街でした。姪はここでセカンドハンドのクールなショップを共同経営しています。
最後の写真は、Occupy Washington D.C. の人たちのテント。うーむ、こんなところじゃなくて、たとえば大学を占拠して自主講座とかやって、学食でおいしいものを食べて、温かい教室で眠ったらいいのに、、、と思ってしまいます。
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by keiorihara | 2011-11-30 13:25 | USA | Comments(0)
2011年 10月 30日

Occupy Wall Street ウォール街を占拠せよ 2

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Occupy Wall Street の運動にたいして、前回、リーダーがいないし、闘争目標がバラバラ、というような心配事を書きましたが、思うに、まさにこの点において、この運動はアメリカにおいて、新しく素晴らしいのかもしれない、と思うようになりました。
つまりここには、オバマよどうしろとか、イラク戦争反対とか、医療保険のA案に反対とかというこれまでの抗議と比べると、そこには根本的に異なる大きな怒りと絶望があるからです。

「ウォール街を占拠せよ」 という、かけ声というか運動の名称も、考えたら、秀逸だと思います。
彼らはもう、議会など相手にしていない。議会制民主主義すら信じていない(プラカードに、投票するな!というのもありました)。
合衆国の連邦議会で行われていることがお芝居であることを見抜いている。(まあ、日本の国会も金屏風の前の猿芝居だと思いますが)
この国のほとんどの議員が上流の出身(アメリカの階級社会についてはまたの機会に)で、ウォールストリートのために働くことが国会議員の仕事といえます。(そうではない議員も一人くらいいるようですが。アフガン攻撃、イラク攻撃に反対した議員はたった一人だったのです)

こ のウォールストリートを動かしている層というのは、この国のトップ1%の資本家層(といっても人口3億人を超した合衆国では300万人にもなりますが)、 そのうちのさらにトップの国際金融資本家層、ロックフェラー、メロン、デュポン、モルガンなどの財閥と軍需産業、石油産業、製薬産業などの多国籍企業家た ちと、それへの投資家層。
彼らをもうけさせるために、この国には外交(経済コントロールあるいは戦争)というのがある。議会で話されている主なことは、この”外交”です。
まさに、” We are the 99%" というシュプレヒコールは、根本をついているラディカルな声であると思われます。

この国が曲がりなりにも機能しているのは、州や市の地方自治体の行政がしっかりしていることと、たくさんのボランティアをかかえた、ものすごい数のNPOの働きがあるからです。

しかし、この国の上層の非情な金銭欲は、アメリカの企業全般の体質になっているように思えます。
儲けるためには、どんなことをしてもヘイチャラ。訴えられても必ず勝つようになっているようです。サービスなんてことは頭にもありません。
例えば私の経験で言うと、病院•医院は、コンスタントに請求書を二重に取り立てます。または電話会社、ガス会社などはコンスタントに数字を間違えます。
請求額を銀行に自動振替をしたらおしまい。10ドルくらいの数字の違いは気がつかないことがあります。

電 話会社に、使用料金と請求額とが違うと電話したら、請求書は別会社がやっているので、我々電話会社とは関係がありません、請求会社に電話してください、と いわれる。そこに電話すると、この会社は請求書を出しているだけで、この数字は会計会社から来たものだから、会計会社に電話しろと言われる。そこに電話す ると、この数字は電話会社から来たものだ、といわれる。
それまでに、音声レコードでどこどこに用件の人は数字3を押してくださいとか、ものすごく疲れる作業を強いられる。その前に、混み合っていますのでお待ちください、という機械音に辛抱強くつきあわなければならない。電話代もかかる。
たった10ドルのために、これほどの時間と労力と苦痛を味わわなければならないなら、もういいやと思う。面倒くさいと。
このような手法で、つまり卑怯な手法で、庶民は金を巻き上げられている。

Occupy Wall Street の運動は、この国の資本主義の体質そのものを問うている。
資本主義の行き着く先の悲劇を問うている。
資本を手にした者たちの権力ゲームの冷酷さを問うている。

この運動には目標がないと批判する人がいる。先がないと。
確かに、そうだ。
革命でも起きないかぎり、彼らの抗議は聞き入れられないだろう。
アメリカ帝国主義粉砕! と、声をあげたことに近い。
ある意味、とても過激な運動ともいえるのではないかと思う。
でも、いちばん大事なことは、声をあげたこと自体なのだと思う。

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証券取引所向かいで行われているアートショー[Loft in The Red Zone] の作品より
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キャンプ地Zuccotti Park(前回にリバティパークと書きましたが、2006年に名称変更していました。金を出した金持ちたちが自分の名前を付けたがるのでしょっちゅう変わるのです)で、思い思いのプラカードを書く人たち。

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「オバマを変えよ」 または「オバマよ、変われ」かな?

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シュプレヒコールが音楽的。

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これらの写真は、10月9日撮影。

きょう、10月29日昼、初雪が降り始めました。買い物がてら近所で写真を撮って、それからもう3時間も降り続いています。今摂氏1℃
ズコッティ公園に寝泊まりしている皆はどうしているでしょう。。。。

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Sunnyside 10/29 12:00PM
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by keiorihara | 2011-10-30 04:19 | USA | Comments(1)
2011年 10月 25日

番外篇  グランドキャニオン Travel to the Southwest, Grand Canyon

更新が遅れてしまいました。
私事を書いてしまいますが、今回は番外篇ということで。

事の発端は、航空会社のマイレージの期限が10月末に切れてしまう、ということでした。
国内だったら二人分どこへでも行けるマイルです。じゃあ、どこかに行こうということになりました。
10月は私の誕生日があるので、誕生日祝いに私の行きたいところに行こうと夫が言ったのです。
私はすぐに答えました。
「グランドキャニオン!」
30年以上前にグレイハウンドバスの一人旅でアメリカ中を2ヶ月かけて一巡りしたときに、早朝の車窓から見たグランドキャニオンの真っ赤な壁面(バスの運転手はこの壁の向こうがグランドキャニオンだと言ったのだと思いますが)のあまりの美しさが忘れられず、長い間ずっと行ってみたいと思っていた場所なのです。

けっきょくそのときにマイルで買える便は、腹立たしいことには、空港に夜中に着くとか帰りの便の出発時間が早朝とか、とても利用したくない便なのです。
「マイレージなんかに束縛されるなんて馬鹿げている」と、夫は特典旅行を捨てて、自分で航空券を買ってしまいました。
(で、あとでわかったのですが、そのマイレージは最近、無期限に変更されていたのです。めでたし)

ラスベガスの空港からレンタカーして、大型ディズニーランドのようなラスベガスのケバケバしい街を車窓から眺め、南ユタをめざし出発。
それから8日間、グランドキャニオン、ブライスキャニオン、いくつかのキャニオンランドを通って、モニュメントバレー、ナヴァホインディアンの居留地、メサベルディ とチャコキャニオンのプエブロ(約1000年前のネイティヴアメリカンの住居跡)を見て、サンタフェ、アルバカーキーまで1500マイル(約2400キロ)を旅したのでした。

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Grand Canyon from the North Rim 向こうに見える南壁(ほとんどの人はこちらを訪れる)まで約30キロの距離があります。私たちが行った北壁(標高2700メートル)は積雪のために閉鎖される一日前でした。

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Bryce Canyon National park (Photo by T.Lacy)
アメリカの国立公園の素晴らしさに感服しました。道路標識どころかガードレールもフェンスもほとんどありません。
舗装道路につけられた見晴らしのいい展望台には、それなりの囲いや地図と名前がついていますが、それも、自然の中にある素材や色を利用して、自然の中にとけ込ませている。
安全というのは自分が責任をもつもの、というのが国立公園の常識なのだと思います。


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Bryce Canyon National Park

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Bryce Canyon National Park

想像を絶する風景。その風景の巨大さ、異様さに言葉を失ってしまいます。
写真ではそのスケール、その距離感、その美しさ、質感、ボリューム、どのひとつも表現することができません。
地平線も空の大きさも深さも巨大すぎて、距離感がわからない。
その姿の異様さに、まるで海の底を見ているようだ、と言ったら実際、5億年前まで湖の底だったそうです。

これらの風景から彷彿とさせるもの(あるいは旅の中から思い出したもの)は、ギリシャ神殿、ビシュヌ寺院、ボロヴドウール寺院、アンコールワット、ローマのコロシウム、西洋のお城 、ローマ時代の城塞、砦、イスラエルのネゲブ砂漠、シリアの荒野、インドの寺院を支える象、そして様々な人間の群像。
偉大な自然が作ったものと、人間が作った神々(あるいは霊)の住処、というのは関係があるのでしょう。
そしてここが聖地であることを確信したのでした。

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グランドキャニオンに関して言えば、コロラド川峡谷を囲むグランドキャニオン国立公園の広さは4930平方キロメートル、長さは446キロ、見下ろす絶壁は1500メートルの深さ。

そして、毎日走りつづけても、つぎからつぎに違った顔を見せるキャニオンや巨大奇岩を見渡す広大で異様な風景は途切れることはないのです。
これが、ユタ、アリゾナ、コロラド、ニューメキシコのほんの一部なのですから、アメリカの大きさをこれほど実感できるところもないかもしれません。

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Bryce Canyon National Park



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toward Monument Valley

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Goose Neck Canyon

こんな風景を15000年前から見てきたアメリカ先住民。
巨大な自然の力を知り、自然の前にひれ伏し、自己を自然の一部とみなして暮らしてきた彼らアメリカインディアンと、自然をつねに征服し、ヨーロッパから”新大陸”にやってきてもなおも自然を我がものにしようとした白人(西洋人)とは、どんなにちがった精神性を持っていただろうと、ここに立ってつくづく感じました。

アメリカ政府がおこなった悲惨なインディアンの歴史は、日本が中国や朝鮮やその他アジアの国々にたいしてやったこととかなり似ています。つまり、人間とみなしていなかったのです。根絶やしにせんばかりの命の奪い方、生き残った者にたいしても同化教育と称して、言葉を奪い、名前を奪い、人間としての権利、尊厳を奪っていたのです。

リザベーションの荒れ野の中にぽつぽつと立つプレハブの家に住み、私たち観光客のモーテルの世話をしたり、レストランで働いたりしている現在のインディアンの生活を見ると複雑な思いです。
今、ナヴァホネーションと呼ばれるアメリカ最大の居留地は自治国に近く、上記4つの州にまたがった広大な地域です。議会を持ち、大学を持ち、観光資源を握っています。
交通標識も全く違った独自のデザインと色で作られています。
そしてインディアンはとても寡黙です。


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Monument Valley in Navajo Nation

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Glen Canyon and Lake Powel

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Bryce Canyon 太陽が沈むと間もなく台地の向こうにひょっこり月が現れました。
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by keiorihara | 2011-10-25 07:29 | USA | Comments(0)
2011年 09月 18日

10年目の9/11で思うこと

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Ground Zeroに建設中の"Freedom Tower"


私が前に通っていたESL(English as a Second Language)の先生が「大きな嘘ほど人は信じる」と、9/11について、内容はほとんど話さなかったけれど、そう言いました。
私は、この人も2001年の同時多発テロは、アメリカ政府のやったことと思っているな、とすぐにわかりました。
このクラスは、先生の話したことについて生徒たちがグループでディスカッションするという授業。そのときにクラスメートから聞いた話はわたしにとって、本で読んだことを決定的に裏付けてくれました。

ブラジル人のファビアナは、当時ブラジル国軍属の父の仕事の関係でワシントンはペンタゴンの近くの丘の上に住んでいました。
その日の朝、大きな爆発音がしたので何だろうと、家族と一緒に車で音のした方に走りました。
丘の上からペンタゴンを見下ろすと、煙がモクモクと出ています。壁に穴があいているのを見ました。
家に帰ってテレビをつけると、旅客機がペンタゴンに激突したと言っていました。
彼女の話によると「飛行機なんてどこにもなかったし、残骸のかけらもなかった。テレビが言っている激突した穴って、飛行機が入れるような大きな穴じゃないの。最初は誤解だと思ったけど、そのあと全然訂正がなかったから、これは完全に嘘だと思ったわ」
ファビアナは敬虔なカソリックで、このクラスの中でもとびぬけて保守的な生活感覚を持っている人でした。それだけに、この話はもの凄いリアリティを私にもたらしました。

私は日本にいて、友達のおかげで、事の起きている様をTVで実況放送で見ていた一人です。
ワールドトレードセンターが崩れ落ちていくときの映像は、私にある光景を思い出させました。
私はビルの屋上の給水タンクの写真を撮っていて、ある日タンクの建築現場を撮影していました。
ある工程から次の工程までけっこう時間があって、暇にまかせてハドソンリバーの方角をぼんやりと眺めていました。
その目の中に、ビルを解体する瞬間が飛び込んできたのです。
ウワーすごい、こんなやり方で、古いビルを解体するのだと。
かなりの高層ビルなのに、爆破だけでこんなにあっという間に、きれいに解体するんだ。上から下に、横に広がらずにズズズズーンと下に落ちて、すべて消滅です。
歩道脇の囲いの低さにも、びっくりしました。こんな煙(ホコリ)を出しているのにこんな程度の保護シートでいいんだ、そんなことを思いました。

そのときの崩れ行く光景が、ワールドトレードセンターの崩壊する姿と瓜二つだったのです。だから、WTCが崩れ行くとき、わたしは何も考えずに、ああ、ビルが爆破されている、と思ったのです。
ところが、TVでは、飛行機の激突でもたらされた高熱によるメルトダウンで支柱の鋼鉄が溶けたことによるビルの崩壊と報じられました。しかしそこに残ったのは、溶けた鋼鉄ではなく、粉々に粉砕された鋼鉄の灰でした。ものすごいエネルギーをもった爆発物以外に、このような結果は出ないのです。なぜ、当局は嘘をついたのでしょうか?

こんなことを書き始めると、100くらい疑惑はあってきりがないのでやめます。
このあと、すぐにブッシュ政権は、アフガニスタンに攻撃を始めました。そして念願のイラク戦争です。戦争したくてウズウズしていたブッシュ石油ファミリー、および軍需産業は、 9/11で活気づきました。

戦争することで、アメリカの支出は増大して経済は疲弊するのに、なぜ? って思われるかもしれませんが、権力を持ったアメリカの資本家たちにとって、アメリカの国内のことなんてどうでもいいのです。
彼らの儲けは、アメリカの経済とは何の関係もなく、というか、アメリカの一般庶民が貧乏になるほど、彼らは潤い、彼らの権力の見せ所を実感できるわけです。
お金はもとより権力、支配すること、にとりつかれたわずかな人びとによって、世界はとんでもなくひどい方向に向かっている、それがアメリカに住んでいて思う、絶望的な展望です。

新しいビルは、フリーダムタワーと言うそうで、見るからに不吉な姿をしていると思うのは私一人ではないと信じます。
最も恐ろしいのは、9/11記念式典で、宣言された言葉。
「我々は決して許さない。テロリストに対する戦いは、けっして終わることはない」
20世紀は戦争と難民の世紀だったけれど、21世紀はテロリズム(架空の)の世紀として続くのでしょうか。
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by keiorihara | 2011-09-18 17:42 | USA | Comments(0)
2011年 08月 06日

反原発運動

毎日、福島第一原発のこと、それから発した原発問題、放射能問題などを読んだり聞いたり見たりしていると、ただでさえ足りない時間があっという間に過ぎていく。
何人かの東京の友達が反原発のデモに行ったときのことをメールで書いてくれて、胸がちょっと熱くなった。
ある友達はアメリカにも反原発運動はあるの? と聞いた。
すぐに思い出したのが1979年の夏、バッテリーパーク(ニューヨークのワールドトレイドセンターとハドソン川の間にあった広大な砂地)で開かれたAnti-Nuclear Rally(反核集会)だ。
その年4月に、スリーマイル島の原発事故がおきていた。

とにかくとにかく、もの凄い人の数。自分のいる場所からステージの人は豆粒くらいにしか見えないし、後ろはどこで終わっているのか端が見えないくらい。記録によると参加者20万人。
砂地は腰を下ろすのに気持ちがいいし、並んで寝そべっているカップルもいた。。
マイクを握った人の口調は、まさしく活動家のものだ。ベトナム反戦、ドラッグカルチュア、ロックミュージック、ヒッピー、そんな時代を彷彿とさせる人びとの光景。
当時連載していた雑誌「宝島」に写真と文章を載せたので憶えているのだが、トム•ヘイドン、ジェッシー•ジャクソン などたくさんの活動家や著名人のスピーチがあり、グラハム•ナッシュ、ジャクソン•ブラウンなどのミュージシャンが演奏し、来るはずのジェーンフォンダは、いま自宅に軟禁状態(意味不明だったが)だと、緊張感のある声でアナウンスがあった。
ウッドストックからちょうど10年、アメリカの反体制はまだまだ健在、というより、もっと確固とした方向性をもって動いていくのだなと感じたものだ。アメリカには反=核兵器、反=核実験がそれに加わるから、もっと複雑でシリアスな問題と思われた。

ちょっとそのころの反核運動のことを調べてみた。大きなものだけを取り上げると、
1977年、スペインのビルバオで反原発集会に20万人。
1979年、上記のニューヨーク反核集会。西ドイツ、ボンで12万人反原発集会。
1981年、ドイツ、ハンブルグで原発建設反対の10万人のデモが1万人の警察と対峙した。
1982年、ニューヨーク、セントラルパークでこんどは核兵器廃絶で、百万人がデモンストレーション。アメリカ史上最大のデモ。
1983年、西ベルリンで60万人。

ドイツでは、1971年の原発建設反対運動からずっと、反原発運動は警察力による多くのケガ人を出す激しいものとしてつづき、フランス、スペインでは、1973年のバスクでの反核運動からはじまり、70年代80年代をとおして反=核実験を含む大きな集会がコンスタントに行われた。

そして1986年にチェルノブイリ原発事故。その後ドイツ各地、ローマで反原発集会に15〜20万人。
アメリカでは数百人の抗議者がL.A. からワシントンD.C.まで6000キロを9ヶ月かけて歩き通し核廃絶を訴えた。寄付を集めキャンプをしながら一日平均24キロ歩いた核撤廃平和大行進。
イギリスでは1983年、バークシャーの三つの核兵器センター(工場?)を、7万人が手をつなぎ取り囲んで抗議をした。

チェルノブイリのあと、多くの国が原子力発電所建設停止の方向に向かったので、反原発運動は勝利のうちに収束したかたちとなった。
しかし2000年以降は、地球温暖化論がエネルギー問題の中心になって、CO2は悪玉、原子力はクリーンエネルギーと言われるようになった。
つまり、地球温暖化論によって、原子力発電は正当な位置を勝ち取ってしまったように見える。
オバマ大統領は、スリーマイル事故以降ストップしていた原子力発電所建設を再開すると宣言し、クリーンエネルギーで温暖化をくいとめよう、と高らかにうたっていた。
ジョージア州に建設予定の発電所はみな、日本の会社のものだ。(多分中止になるだろうけど)

2000年以降も、日本、アジア、ヨーロッバ、アメリカ、各地で原発反対、あるいは建設阻止運動は、大なり小なり活発に続いていた。
それを覆いかぶせようとしたのが温暖化論だ。敵は巧妙な手口で人びとを丸め込む。
しかし、こんどのFukushima, Daiichi は、その覆いをひっぺがすような大惨事となった。
原発撤廃の運動はこれからが勝負なのだろう。

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Long Island City


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L.I.C.
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by keiorihara | 2011-08-06 06:25 | USA | Comments(2)
2011年 07月 25日

アメリカが終わる

毎日30℃をこす暑さだけれど、おとといはは39,4℃だった。気象情報によると体感温度は42℃だそうだ。
でも東京のような湿気はないから、歩いていながら暑いことを忘れていられる。

なんだかオバマが毎日死んだような顔で、ニュース(ネットで見ているのだけど)に登場している。
数日前、年金を見直す、つまりこのアメリカの最後の砦というか、唯一のまともな社会制度である年金をウォールストリートに売り渡すというような話をして、アメリカはここまで来てしまったのだと思い、とてつもなくいやな気分だ。

オバマが勝利した日、わたしたちはジョージアにいたのだけど、その日、ふだんはロボットのように無表情に働いているスーパーのレジの黒人の女の子たちが、嬉しさを隠しきれないという風に沸いていた。
数日間、わたしも彼らと同じように嬉しさがこみ上げてくるような思いを経験をしていた。
大統領選というのに、市民でもない私がえらく感情的に揺さぶられていたのだ。彼をサポートした人たちはみなそうだったろうし、黒人はとくにそうだったかもしれない。

しかしここまでパペットでいるだけのオバマになるとは。
就任式後の1週間も立たないうちに、グアンタナモ刑務所の閉鎖にサインしたというのを知って、感激したのはいったい何だったのだろうか。実際は閉鎖どころか、虐待は日常的に続いているという。
アフガニスタン、イラク、パレスチナ、、、口先ではなく、やっていることを見ると、ブッシュと何一つ変わらないし、言葉の価値を下げたという意味でブッシュよりも罪深いだろう。
彼は民主党で”リベラル”だから、どんなひどいこともできるのだ。ブッシュができなかった、共和党ができなかった年金の突き崩しを、リベラルのオバマはできる。そう考えたら、オバマは史上最悪の大統領で、この国を牛耳っている国際金融や石油や軍事産業の資本家たちにとっては、最良の大統領であるのだろう。

人の話では、もうすぐアメリカは終わるらしいのだが、いったい何が起きるのだろうか。
熱いトタン屋根の上にいるような私たちなのに、街の人たちの元気に暑さを忘れていられる。

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by keiorihara | 2011-07-25 14:11 | USA | Comments(0)