折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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カテゴリ:Queens( 87 )


2013年 02月 24日

サニーサイドの夕暮れ   Evening in Sunnyside

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きょうは、一冊本を読み終えて、ズッシリときているところです。

ヤマト王朝―天皇家の隠れた歴史

スターリング シーグレーヴ / 展望社



『ヤマト王朝』という本ですが、最初”The Yamato Dynasty"という原書を、友達から借りて読み始めていたのですが、数ページのうちに頭が痛くなり、日本の固有名詞を英語で読むこともないや、と言い訳をして、日本語訳の中古をアマゾンで手に入れました。

明治から戦後と現在にいたるまでの、皇族の生き様、やってきたことの歴史を書いたノンフィクションですが、昭和天皇裕仁のひととなりと戦争責任についても、皇族の戦争に果たした役割についても、ああやっぱり私が考えていたことはまちがっていなかった、と思ったはるかにそれ以上のことがこの本には書かれています。
著者はスターリング•シーグレーヴとその妻ペギー。訳は「ヤマト王朝」刊行委員会。訳者の名前が伏せられていて、いかに皇室が日本のタブーであるかを物語っています。

マッカーサーがやったこと、それが日本の戦後の今に至るまでにもたらしたもの、民主主義とはどんなことか未だにわからない国民がどうして生まれたか、どうして強力で時代錯誤的な官僚体制と政治家の猿芝居がこの国ではいつまでも続くのか、そもそも天皇制とは何か、一つのことを深く掘り下げているわけではないけれど、福島原発のことにもつながる、つまりたくさんのことがつながってくることが書かれていて、日本の今を考えるのにも、とても興味深い本なので、ぜひ、皆に読んでほしいと思う。

アメリカにいると、日本の皇室関係の本はとても目立ちます。
表紙がこれで、書店の平台に並んでいると、嫌でも目に飛び込んできます。
この本は1999年出版ですから、だいぶたっていますが、数年前に大型新刊書店の平台で見ていたものです。売れつづけている本なのです。

そして、こういう本がベストセラーになるのです。ニューヨークタイムズの新刊書欄に6週間連続でベストセラー入りをしています。もしかしたら、総数で行くと、アメリカ人のほうが日本の皇室のことをよく知っているかもしれません。

なのに日本人は、避けてしまいがちですね。
南京事件(南京大虐殺)についての本もしかり。(この話はまたあとで)
日本人ばかりが ”井の中の蛙” で、自己愛過剰で、アジアの中でも孤立してしまうのが目に見えています。
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by keiorihara | 2013-02-24 11:36 | Queens | Comments(0)
2013年 01月 26日

またまた、いじめ防止法と教師たち

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46 St- Bliss St Station, Sunnyside

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ラガーディア空港に向かう旅客機 Airplane approaching LaGuardia Airport


前回、頻発するいじめ事件に対して、いじめ防止法みたいなものが必要じゃないかと書きましたが、少し言葉が足りなかったかもしれません。
この法は子どもに対しての法ではなく教育現場に対しての法です。
学校内で起きているいじめを、見て見ぬ振りをしている教師が多すぎると感じるからです。
これは前回でもあげた、児童虐待•ネグレクトもしかり。新聞記事を読む限り、親に殴られているんじゃないか、食事を何日ももらってないのじゃなかろうか、そう感じていたはずなのに、ことが起きるまで教師は知らん顔をしていたとしか思えない事件がおきているからです。
つまり、見て見ぬ振り、見過ごすことは、教育者として責任を問われる、義務違反、という法律です。
これには一つ、教師たちがどう対処していいかわからない、という自信のなさ、つまり知識や経験のなさがあるのではないかと思います。
教師たちは専門家からいじめについて学ぶ機会を持ち、生徒とどのように接触するか、理解と技術の習得が必要です。
わたしはジョージア州アセンズ市で、学校やいろいろなNPOなどの福祉現場を取材をしたのですが、現場に専門家が充分な数きちんと配置されていることに感心しました。
すべての州立大学には福祉学部があり、大学院があり、児童虐待•ネグレクトの専門家、DVの専門家、児童心理の専門家、発達障害の専門家、精神障害の専門家、身体障害の専門家、など多数を輩出し、かなりの数いるべきところにいる。
日本のように去年まで市役所の土木課だった人が、今年から児童相談所に配置転換され、事件の現場に接触なんて考えられないことです。(いじめの話に、児童虐待を出していますが、DVとともに、関連し合っていることが多いからです)
これはひとえに日本の公的な機関が官僚的、つまり必要としている人びとのためにどうしたら一番いいかを考えるのではなく、この部署の体裁をどう整えるか、あるいは働いている人をどう使って役所の潤滑な運営をするかという発想から先に、人事を行ってしまっているからだと思います。

話が横道に外れましたが、教師が見て見ぬ振りをしないためには、いじめに関する研修会とかミーティングが必要だし、生徒と接触する教師にもっとゆとりがなければならないと思います。

まず、雑用で忙しい教師たちの毎日を改善するために、公立小中学校に事務室を作り、事務職員を3~4人雇うこと。テストペーパーや連絡の手紙を印刷したり、機械的にできる採点は頼んだり、行事の準備などをやってもらったり、教師がやっている雑用も管理してもらうのです。事務職員2人とアルバイトでもいいでしょう。(今はふつう事務職員は1校一人のようです)
電話も、まずは事務室が受け、親からの苦情、質問、要望なども、一度受付を通して整理、判断された形で教師につなげる。保護者からの苦情の電話で、教師は夜まで半日つぶれてしまうという話がよくありますが、このようなシステムを作らないと、教師は身体が幾つあっても足りないでしょう。

事務室を玄関の横に作って、そこの窓で学校の受付をする。訪問者の名前や連絡先を書いてもらったら安全にもいいし後日役に立つこともあると思う。(校長室に行くのに、歩いている先生を呼び止めて、その先生に案内してもらったりして、教師の雑用を増やしてしまう、そんなことが多すぎます。)
これはやはりジョージアで、小学校にボランティアに行ったり、中学や高校を訪問した際に、学校に受付がある便利さを体験したので。

今の日本の学校の状況では、教師が生徒の一人一人に眼を配ることは至難、と思えます。
教師は忙しすぎる、と言う声はたくさん聞くのに、ではどうすればいいか、という声を教職員があげないのはどうしてだろう、といつも思うのですが、文科省の官僚たちがこういうことで動くとは思えないと思うのでしょうか。それほど、教師たちは無力感を持っているのでしょうか。

あと、教育委員はアメリカのように(という言い方は嫌なんですが、とりあえず)、市議会議員選挙と同じように、選挙で選んでほしい。日本の親たちはどんな人が教育委員をやっているのか知らずに、教育に関するかなりの責任を任せている。教育のことなんかかつて考えたこともないような町の名士が教育委員をやって、教科書の選定をしたり、まずいことが起きると、ことを荒立てたくないというだけの立ち回りをしたりして、ことをややこしくしたりする。これほど反教育的なことはありません。
選挙にさほど幻想を持っているわけではないけれど、少なくとも、子どもは社会が育て、教育は市民みんなが考え見守ることという意識を、一人一人が常日頃もつきっかけになるのではないかと思うから。

なんか勝手な意見を大まじめに書いてしまったけれど、”いじめは悪いこと”と教える道徳的、倫理教育、みたいなことばかり言われているので、もちろん、それはとても大事なことだけど(それも教えるテクニックがなければ、意味ないでしょうけど)、やっぱり頑張っている先生たちが心身症なんかにならないように、環境を整えていくことからやったほうが健全で早いのではないかと思うのです。

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46 St-Bliss St Station, Sunnyside
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by keiorihara | 2013-01-26 07:08 | Queens | Comments(0)
2013年 01月 22日

さらにイジメのこと

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long Island City 国会図書館の広告 



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Long Island City ガソリンスタンド



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Long Island City 貸し車庫とロングアイランド鉄道の構内ヤード




いじめの事件が頻発して、ときどき思ったことだけれど、日本では「いじめ防止法」とか「いじめ対策法」とか聞いたことがないが、やっぱり必要なんじゃないか、ということ。
法律を作ろうとするときには、必ずその対象に対する”定義”を定めなくてはならない。教育の現場、あるいは親たちの間には、この、いじめとは何か、体罰とは何か、といった、定義がそもそもできていないことに起因する、甘さがあるのではないかと思う。といって、私にもよくはわかっていないことですが。

アメリカでは小中高の学校を対象にした Anti-Bulling Act 「反いじめ法」は、ほとんどの州で成立していて、内容は州によってマチマチだが、「嫌がらせ、脅迫又はいじめは、身体的に限らず、方法の直接、間接を問わず、言葉の口頭、書面の別に関わらず、1人以上の個人を傷つける意図を有する行為」といった定義がなされ、ハラスメント、サイバーいじめ(すべての電子的なやり取り)、つきまとい、脅迫の傍観なども刑法上の犯罪とみなす。
教職員の通報の義務、介入、被害者保護、親への通知、毎年州に報告し、データの公開の義務も負う。当然、「強制力を有するもの」と規定している。(国立国会図書館海外立法情報課 井樋 三枝子「アメリカの州におけるいじめ対策法制定の動向」)

上記は簡単な抜粋だけど、被害および加害児童のカウンセリング、親の告訴の権利などなど、立法化に伴って決められていることも多い。
アメリカの「児童虐待防止法」を思い出す。
ジョージア州で児童•家庭局のディレクターに話を聞いたときの、目から鱗の一つなのだが、
「教職員は、児童に虐待の兆候、疑いを見たら、すぐに当該局に通報する”義務”がある」 
という法律の条項がある。つまり、これを怠ると、教師や校長あるいは担当者の責任が問われるということ。
ディレクターの話では、
「発見の90%以上が学校や保育園からの通報です。だって、学校の教師は長時間、毎日、生徒の顔を見ているんです。わからないわけないんです。みな疑いの段階で通報してくれます。調べるのは私たちの役目だから」
もちろん、局の専門家が教職員に、虐待やネグレクトの見分け方、の教育もしているそうだ。
そして、通報先(児童家庭局)には児童虐待の専門家、ソーシャルワーカーが常に待機している、という話。

ところで、日本では「反いじめ法」はどうなっているかとググってみたら、
文科大臣の下村博文という人が、「いじめ対策防止法」という名の条例の準備をしていた。
しかし、彼は「いじめと暴力、恐喝などの犯罪は別ものであり、峻別して対応すること。」 と言っていて、どういうわけか、いくつかの別の人のサイトでも、同じ言葉が言われている。しかし、この、犯罪といじめの線引きは何処でするのだろうか。
むかし言われていた、レイプは犯罪だけど、痴漢は”いたずら”というのに、似てはいないだろうか。
もちろん、子どもの犯罪者は作ってはいけない、と思う。しかし、犯罪と同じなんだよ、という意識が、大事なんじゃないかと思えてくる。この社会は何十万人という傷ついた子どもたちを作り出し、たくさんの嘘つきの大人たちを作り出しているのだから。
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by keiorihara | 2013-01-22 03:32 | Queens | Comments(0)
2013年 01月 13日

夕暮れ from Woodside

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夕方、散歩に出た。
クーインズにはジョンFケネディ空港とラガーディアと二つの空港があるのに、全然飛行機を見ないなあと思っていたら、こんな近くで旅客機を見つけた。街の騒音が大きいので、飛行機の音は聞こえたことがない。このあたりは、ヒスパニックの人たちの多い住宅街。



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左にマンハッタンのエンパイアステイトビルと右にクライスラービル。真ん中はクイーンズのシティグループビル。
わが駅サニーサイドの隣、ウッドサイド駅ホームからの眺め。



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ウッドサイドから建築中のワールドトレードセンターを望む。


2013年の新年が明けて、私の心は重苦しい。
いじめ自殺のニュースのあとに、こんどは体罰。
私たちの学生時代より、日本の学校や社会の縦構造は、さらに厳しくなっているように思う。
時代に逆行するようなことばかりで、つらくなる。
教師や先輩からの体罰は、力あるものが、その力を暴力を使って弱いものに向けるパワーハラスメントだ。
教育でも修練でもなんでもない。
それを不当なこととして訴えることがないのは、教育界に体罰がなんであるかの、意識教育がまったくないからだ。
文科省の内実を知れば、パワハラやイジメの根源が、この教育界の縦構造のトップの隅々まで根を張っていて、文科省が”指導する”なんて偽善でしかないと思う。
イジメとは何か、体罰とは何か、文科省の人たち、教育界の人たちは、根本から話し合ってほしいと思う。
これは、子どもたちの問題ではなく、教師たち、教育界の人たち、大人たちの問題なのだということを肝に銘じて。
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by keiorihara | 2013-01-13 00:24 | Queens | Comments(0)
2012年 12月 31日

日本のイジメ体質

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 Romanian Garden, Restaurant in Sunnyside ルーマニアン レストランの猫


日本に帰ると、かならずイジメの話を聞く。テレビのニュースで、子どもが死に、学校が隠し、教育委員会がごまかし、警察が捜査しない、そんないきさつを、大人も子どもも毎日見せつけられている。
アメリカで知り合ったアメリカ人の友達が、日本に住んで、英語教師として入った日本の会社でひどいイジメにあった話。
禅の修行をして得度をしたアメリカ人の坊さんが、日本の禅寺でイジメと差別の毎日を送った話。

日本の集団社会というのは、軍隊なのだとつくづく思う。
小学校で 「前ニィ ナラエ!」 「ヤスメ!」 という、あの軍隊式の号令をいまだに教師がやっていると聞いて、あぜんとする。
上司が自分の鬱憤を弱いものに向ける。日本の軍隊がリンチを日常茶飯としていたのと同じ構図。
それがシステムになっているのが省庁だ。

省どうしの、部課どうしの競争と差別そして敵対。どこの課は花形だの、日陰者だの、突撃隊だの敗残兵だの、文部相時代どのように振る舞って来たかを書いた寺脇研著『官僚批判』(このタイトルは完全に詐欺で、正しくは官僚自賛。はい、無知な私は、クイーンズ図書館日本語コーナーで見つけて、だまされて読みました)を読んで、本当にうんざりした。
国家公務員はキャリアとノンキャリアに別れるけれど、寺脇研のような人はキャリア官僚と呼び、それは、専門知識など何もなく経験もない人間が、学歴とエリート意識だけで出世の道を歩む職業だ、というのがこの本を読むとわかる。
彼がラサール中高から東大を出た、ということをいかに後生大事にしているかということが、この本を読めばわかり、この人は「ゆとり教育」の提唱者だかで有名になったらしいが、子どものこと、教育のことなんか何も考えていないことも、この本を読めばよくわかる。
この人は、映画評論家として知られているらしいけれど、事務次官どころか局長にもなれなかった自分を、異端児だったから、と言って弁明せずにはおれないほど、うぬぼれと出世欲のつよい人で、なんだか、ゆとり教育も、大きな改革で出世の機会を作りたかっただけのような気がして、こんなやつのために、一般の若者たちが精神を骨抜きにされたようで、本当に怒りを覚えた。
ゆとり教育というのは、体のいい、格差教育なのだったと思う。ゆとりは非エリートのもの。彼にとって、ラサール、東大は絶対に価値を落としてはいけないものであるはずだ。

一番問題なのは、自分のエリート意識を全然自覚していないこと。
官僚批判、なんてリベラルのスタイルをとっているつもりが、じつはこの出世街道をのぼっていくシステムが、子どものころから勉強という競争をやって来た人間にとって、身に付いたやめられない競争システムであって、そこで登り詰めるはずだったのが上れなかった、つまり大好きな官僚制度なのに、裏切られてプライドが傷ついた、だから本を書いて、自分が異端だったから官僚を辞めたんだ、という弁解をしている。そのことに無自覚であること。

「霞ヶ関を占拠せよ」と私が言ってしまうのは、こういう学閥エリートのキャリアがになう省庁組織のあり方に、日本という国社会をいじめ体質にしている、その一端があると思うからだ。


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NY Lotto man in Sunnyside 宝くじのおじさん
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by keiorihara | 2012-12-31 03:24 | Queens | Comments(0)
2012年 12月 02日

写真とキャプション  Subway Station  &  School

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写真を一つ一つゆっくり見てもらおうと、写真一枚ずつにキャプションを書いてきたましたが、書いた言葉が、こちらが撮影した意図や気持ちと外れていることも多く、この内容ではちょっと違うのだけれど、何も書かないのは不親切のような気がして、というわけでキャプションを書いてきました。

写っている対象を見てほしい写真の場合、わたしは写真のすみずみまで見てほしいと思い、キャプションを読んだらもう一度写真に目が行くようにと言葉を書いてきました。
1枚の写真を楽しむには、見る人の経験や知識や想像力が必要です。このブログのクーンズの写真で言えば、世界の国々をたくさん旅している人や、その土地を知っている人、民俗や文化によく通じている人、本を読んで知識のある人、そういう人が写真を見て受け取るものと、そうでない人では、受け取り方がぜんぜんちがいます。ヒスパニックの人たちを撮っていても、日常的にそういう人たちを見ていなければ、写真を見る人たちは、気づかないかもしれません。建築物の装飾が面白いと思って撮っても、それがどういう時代のどのような建築様式に依拠したものかがわかって、それゆえに写真が面白く見える人もいれば、写真を見ても、ただ日本じゃないところのなんだかわからない風景としか思わない人もいます。言葉は、写真をより楽しむために、だから必要だと思うのです。
 
ベトナム戦争を取材していて地雷を踏んで亡くなった沢田教一という報道写真家がいました。死後に出版された『SAWADA』という大判グラフ誌サイズの写真集を見ていて、1枚のモノクロ写真に目が釘付けになったことがあります。
見開き2ページに大きく載った写真なので、細部まで見て取れる写真なのですが、”ベトナムの子供たちにクリスマスプレゼントを贈る米軍兵士たち” といった ”平和的な” キャプションがありました。誰がキャプションをつけたのかはわかりませんでしたが、新聞か写真グラフ誌に掲載されたものだったと記憶しています。
山地の、黒っぽい貧しい着物風の衣装を着た少数民族の村、かなり奥地の感じがする場所です。
ニヤニヤした大きな米兵たちの前に、黙って列を作っている浮かぬ顔の幼児、子供たち。それを遠くから取り巻いて見守る悲しげな暗い顔をした親たち。
で、配っているモノをよく見ると、、、何と、トウモロコシの芯をニスで固めて作った煙草のコーンパイプ。これは私がアメリカの南部を旅したときに、どこの土産物屋でも見た、安物の、誰がこんなものを買うかといったシロモノなのでよく覚えています。それに筆立て。状差し。
鉛筆など握ったこともないような子たちに筆立て?  鉛筆ではないのです。それに手紙の意味もわからないだろうに状差し? それにパイプ!
田舎の土産物屋で売れずに、段ボール箱で倉庫に山積みになっていたものだか、倒産ものだかを、そのまま持って来たのであろう、人をバカにしすぎている、死ぬほど心のこもらないプレゼント。
今でこそ、この1枚の写真は、ベトナム戦争の本質を物語っているように思いますが、その当時はきっと、ベトナムのアメリカ軍は、マスメディアの上ではまだ平和の使者だったのでしょう。アメリカのやる戦争は、ベトナムで負けるまで、常に正義の戦争だったからです。私が高校生のときに、この写真を見ていたら、どう感じただろうか、気がつかなかっただろうかと、90年代にこれを見て思ったものでした。

写真というのは、見る人が知っていることしか見れないものです。
言葉のない写真を見たときに、写真を見る人ができる認識は、その人がすでに知っている認識の範囲内であり、すでに知っている知識内であり、一人一人の思想や歴史に基づくものであり、それらを総合した感覚によるものです。つまり、言葉のない1枚の写真があなたの知らないことを知らせてくれたり、認識を新たにさせてくれたり、新しいものの見方を指し示したり、そんなことは決して起こりえないことなのです。

そのことの認識の上で、わたしは言葉(タイトル、キャプション、文章)を書いているわけです。

もちろん、写真には、色が美しい、光が素晴らしい、それ以外の何ものでもない写真もあり、そんな感じでシャッターを押している写真もあります。そんな写真でも、グループ写真の1枚として、ついキャプションを書いてしまい、写真の見方を限定させてしまうこともあります。そこのところが、とても難しいと、いまだに考え込んでしまいます。

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by keiorihara | 2012-12-02 15:14 | Queens | Comments(1)
2012年 11月 18日

アストリア Astoria, Queens

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by keiorihara | 2012-11-18 14:48 | Queens | Comments(0)
2012年 11月 12日

ハロウィーンとハリケーン  Halloween & Hurricane

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ハロウィーンは10月31日の水曜でしたが、これは27日の土曜日に撮影したもの。
この日、子どもたちがたくさんおめかしして外に出ていたのは、週末のハロウィンパーティに行くためでした。
去年は、ハロウィーン当日、そこら中の通りで "Trick or treat!" といいながらキャンディやチョコレートをもらい歩く子どもたちの姿を見たものですが、残念ながら今年は、月曜日のハリケーン到来で、その日、街はひっそりとしていました。
以下は、ハリケーン前のその土曜の夜に、ハリケーンがそんなに大事になるとも知らず、呑気に近所を歩いたときの写真です。



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これは大掛かりな劇場仕立て。どうやら悪霊学校の面接試験のようです。




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2階に注目。なかなか、凝っています。




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涙ぐましい姿。




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子どもたちが仮装し、演劇空間に遊ぶ日、じつにアメリカらしいお祭りです。




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1ガロンの水ボトルを工作したもの。けっこう気味が悪いですね。




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これはあまりに手作りのせいか、その貧しい手触りのせいか、空いた椅子がモノを言っています。
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by keiorihara | 2012-11-12 11:29 | Queens | Comments(0)
2012年 10月 31日

クイーンズボロプラザ駅周辺  Outside Queensboro Plaza Station

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クイーンズボロプラザ駅のホームは、すでに何度も登場させましたが、夕暮れ、その外側の風景です。

ここを見た瞬間、なんだか日本のどこかの観光地のちょっとした一角を思ったのですが、私だけでしょうか?
こういう風景も日本には、もうなくなっていきますね。


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こういう渡り廊下もナツカシイ。こういう窓も。こんなパイプも。


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マンハッタンでは今は、こういうゆったりとした人間の光景を見ることはまれなったように思います。マンハッタンから5分でこの駅に着くのに、もうまったくの郊外、というわけでしょうか。


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地下鉄は、マンハッタンのブロードウェイに短い線を走らせたのが1869年。そう、明治維新の翌年です。
それは成功していたのにも関わらず、政治的経済的理由で、今の25路線のうちの多くを完成させたのは1904年になっていました。ですので、地下鉄は今年で108年の歴史、と一般にいうようです。
クイーンズを走る[7]や[N]などの高架線は、1915年。それにしても古い。
その当時はこういう高架線駅(一番上のホームに電車がいますが、その下には別の路線のホームがあります。その下が改札などがある駅構内)も、とても未来的だったにちがいありません。
その当時の写真を見ると、この先はずっと野っ原に線路だけが敷かれています。計画的でもあります。
未来と過去が同居して、ニューヨークはやはり「ブレードランナー」的と思わせます。

余談ですが、ニューヨークの地下鉄、バス、すべての公共交通機関は、市営でつまり公営です。今回のハリケーンサンディに備えて、市は2日間、地下鉄、バス、それからトンネルなども完全にストップさせました。そういうわけで、ほとんどの学校、会社、商店が休日になりました。どんな「想定外」のことが起こるかわからないと、ニュースでくり返していました。カトリーナや日本のツナミは大いに教訓となったのに違いありません。
東海岸の二つの原子力発電所も、停止したそうです。
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by keiorihara | 2012-10-31 10:31 | Queens | Comments(3)
2012年 10月 26日

サニーサイド-駅前から少し歩く  Sunnyside, walk a little from the station

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ニューヨーク中、安くて新鮮な八百屋はほとんどみなコリアンのお店です。楽に歩いて行ける範囲にこういうコリアンの八百屋プラス食材店が、軽く数えて5軒あります。野菜は驚くほど安く、おまけにトーフや大根や白菜やソバなどのアジア系のものがたくさん手に入ります。



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サニーサイドの黒人はやはり新しい移民系の感じがしますね。つまり、何百年前に連れてこられてアメリカ人になったアフリカンアメリカンじゃない人たち。



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男子生徒のこういうプレッピースタイルが流行っているみたいに思ったのですが、ユニフォームかもしれません。



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この辺でよく見かける人です。こんど話しかけてみよう。



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サニーサイドのちょっと奥にこんなお店をみつけました。
もちろん、正面の写真はダライラマです。
チベットの民衆の祈りの歌が流れていて、胸に詰まる感じで、思わず店主に訊いたのです。友人のミュージシャン山根麻衣の「みんなの歌」の起源がわかりました。
こんどは、なぜ彼がニューヨークまで来たのか訊いてみたいと思います。
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by keiorihara | 2012-10-26 16:15 | Queens | Comments(7)