折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2011年 08月 29日

ハリケーンのあと

ハリケーンアイリーンは予想よりもずっと大人しく、海岸線を擦っただけですり抜けていった。
2005年にニューオーリンズを見舞ったカトリーナの痛手が大きかったから、市長の避難命令に誰も反発することもなく、行政、公共機関は万全の対策をしたものと思われる。
サニーサイドは高台にあるので洪水の心配はなかった。それにしても暴風雨もなく、わたしとしてはいつもの車の音、とくに夜中のゴミ収集車の音がなかったし、じつに気持ちよく眠れた日だった。
翌日、いつもは教会帰りの人で華やぐ日曜日のサニーサイドのわが家の通りも、今日は閑散としている。
そこで、となりのロングアイランドシティに向かって散歩に出ることにした。

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Sunnyside サニーサイドはその名のように高台にあって、いろんな通りからエンパイアステートビルを眺められる。
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Sunnyside マンハッタンから10分なのに、昔の郊外住宅地なので風雅な建物が多い。
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Long Island City
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この橋を渡るとブルックリン。
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クライスラービルが見える。
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 Sunnyside 帰宅直前、パラグアイの店でランチを買った。白身魚にココナッツのスープ。コーンのキャセロール。チキンの野菜詰め。じつにおいしい。
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by keiorihara | 2011-08-29 16:27 | Queens | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 28日

ハリケーンとお祭り

ハリケーンアイリーンがもうすぐNY州を襲う。
現在28日になったばかりの夜中。37万人への避難命令が出ている。
わが家はクイーンズの中でも高台にあたるので、まずはだいじょうぶだけど。
27日土曜は、わたしはのんきに、楽しみにしていたハーレムでの”チャーリーパーカー記念ジャズコンサート”に行くつもりでいた。
友達に電話すると、彼女は予定していたファッションショーが中止になったという。えっ? ハリケーンは明日でしょう?と、わたし。
考えたら、通勤範囲のところに避難命令が出ているのに、のんきにお祭りなんてやれるはずはないのだ。

子どものころ九州に住んでいたので、台風は毎年恒例の行事で、父が雨戸に板を打ち付けたり、畳を上げたりして準備しているのをわくわくしながら見ていた。
いよいよ暴風雨の夜、女子供は隣の家にあつまって、オムスビをほおばりながらトランプや花札をし、恐ろしい物音を楽しい笑いでかき消していた。テレビはとなりにもなかった。父は一人家に残っていたような気がする。
翌日は、となりの川が氾濫して、玄関の中をフナが泳いでいたりした。
それでも学校は休校じゃなく、スカートの裾を下着のゴムにつっこんで、膝の上まで水につかりながら学校に行った。
道と川の、あるいは道と田んぼの境目はまったくわからなかったから、学校帰りの道はスリルがあって楽しかった。あのころはのんきだったものだ。

そんなことを思い出しながらスーパーに行ったら、レジは長蛇の列で、昼から地下鉄は止まるし、けっこう緊張感が漂っていた。

サニーサイドでも、8月の土曜はジャズコンサートを中心にお祭りが続いていたけれど、最後の土曜はハリケーンで中止。なので、先週に撮ったお祭りの写真をのせることにした。


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この地区のバンドは大方アイリッシュ。ここは新旧交えたアイルランド人の街でもある。


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ベトナム帰還兵の帽子をかぶった韓国人


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アイリッシュのかつてのバンド仲間。
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懐かしい鳥かご。
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by keiorihara | 2011-08-28 15:33 | Queens | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 24日

多国籍でサードワールドな風景

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Woodside  一昔前の家族の物語を思わせる


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Long Island City バナナを吊して売る国から来た人の移動果物屋


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Woodside 旅したどこかの国を思い出す


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Sunnyside こういう氷の使い方は至るところ


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Sunnyside コロンビア人の食堂


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Sunnyside トルコ人の食材店


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Woodside 中国人のまがい物屋


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Sunnyside 中南米系の移動弁当屋


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Queens Boulevard バスの中からショッピングセンターをのぞむ


私はいったいどういう国に住んでいるのだろう?





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by keiorihara | 2011-08-24 08:56 | Queens | Trackback | Comments(2)
2011年 08月 19日

終戦記念日で思うこと

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ニューヨーク市庁舎付近  in front of City Hall


66回目の終戦記念日がすぎた。
アメリカに住み始めて7年経ったが、どういうわけか日本にいるときよりずっとこの日をつよく意識するようになった。
今年はどんな終戦記念日特集があるだろうかと、テレビの番組表を見ることができないのはさびしい。(うちはテレビがないし)

祖母が映画好きで幼い頃からいっしょに日本映画をたくさん見たが、1950年代には軍隊コメディが流行っていた。
たしか「ばんじゅん」と呼ばれ親しまれた喜劇俳優、伴淳三郎がいたはず、と思ってググったら『二等兵物語』という映画だ。
とにかく兵隊さんはいつも「天皇陛下! バンザーイ! 」と言っていて、戦争が天皇陛下のために戦われ、兵隊が天皇陛下のために死んでいった、ということは幼いながらも笑い話の中でしっかりと受け止めていた。(ばんじゅんは、このことを茶化していたのだと思う)
しかし、いつから戦争映画や終戦特集のなかで「天皇陛下万歳」、いや「天皇」という言葉さえ聞かれなくなったか。

天皇で思い出すのは「パールハーバー50周年」を特集した「歴史の罠、そして真珠湾」というTBSのテレビ番組。
50周年だから1991年だ。
筑紫哲也司会で、真珠湾攻撃、日米開戦に至るまでのドキュメンタリーを見せながら、スタジオのコメンテーター(立花隆、工藤みゆき、イーデス•ハンソン)が感想をのべる番組だった。

例の「昭和天皇独白録」を、スポットライトを浴びておごそかに朗読する竹下景子。
「宮が、今止めてはどうかと言うので、立憲国の君主としては、政府と統帥部の一致した意見は認めなければならぬ。そうしなければ大きなクーデターが起こり、かえって無茶苦茶な戦争論が支配的になるであろうと思い、戦争を止めることについては返事をしなかった。」
そうして、御前会議で日米開戦が決定された。
「御前会議では、反対しても無駄だと思ったから、ひとこともいわなかった」
そして突然、明治天皇の歌をよんだという。
「四方の海 みなはらからと 思う世に など波風の 立ちさはぐらむ」

カッコ内は竹下の朗読で、わかりやすい番組構成だ。じつは、タイトルに惹かれてビデオに録っておいたのです。
昭和天皇が戦後の東京裁判用に自己正当化のために書いたものを、歴史の証言のように引用する番組。

しかし、昭和天皇は日中戦争を始めるときから最後の最後まで、陸海空の軍を統帥していた人であって、戦争を始めたのも、終わらせるときを決めたのも天皇である。真珠湾攻撃の成功の知らせに狂喜したという側近の記録がある。軍の上層部は全部皇族筋でかため、全アジアから金銀財宝を奪い取り、米英、三菱、三井、住友などの財閥と手を結んで、国際金融資本を蓄えた。
天皇は法的にも、全軍に対して統帥権を持っていた。「戦争を止めることができなかった」なんて、チャンチャラおかしい話なのだ。
太平洋戦争の軍事最高司令部である大本営は宮中にあった。天皇はほとんどの情報をつかんでいた。戦争好きだった人としか思えない。
「開戦しなければ、かえって無茶苦茶な戦争論が支配的になるであろう」というのは、ごまかすために書いた意味不明の言葉だ。これまでやってきたことの無茶苦茶に加えて、英米と戦争すること以上の無茶苦茶が存在するだろうか。
「ひとこともいわなかった」と、責任を回避することば。このひとほど、恥知らずな卑怯者はいないと思う。

この番組のはっきりとした意図は、”天皇はイノセントで、平和を望んでおられたが、軍部の暴走で太平洋戦争という未曾有の戦争につきすすんでしまった。すべて陸軍大将であり首相であった東条英機がなしたこと。つまり、天皇には戦争責任はない。”
平成3年、あの”昭和天皇崩御”から3年。天皇戦争責任論が出てくるのを食い止めようとするマスメディアのはっきりとした意図が読み取れる。

天皇の唯一の望みは「国体護持」。国体というのは、自分の命と地位と財産。皇族が君臨する「国体」を守ることをアメリカに保障させて、原爆も沖縄も犠牲にした。1945年の2月、敗戦がはっきりしている戦争の終結への決断をもとめて天皇に「御聖断を仰いだ」”近衛上奏文”のあとでも、「もう少し、戦果を挙げてからでないと」と敗戦、和平を引き延ばしたのも天皇である。

番組に戻ろう。特攻隊の映像。最後の杯を酌み交わす凛々しい青年たち。どこにも「天皇陛下、ばんざーい!」の映像も声もなく、飛び立っていく映像。たくさんの映像やインタビューがあったが、「天皇陛下のために」という音声は注意深く避けられている。子どものころには映画のニュースなどでも、ずいぶんこの言葉を聞いたように思うが。

韓国では15日、解放66年を祝う「光復節」で李明博大統領が演説し「日本は未来の世代に正しい歴史を教える責任がある」と表明した。
日本人が、正しい歴史を教えられないのは、天皇の戦争責任の問題を避けているからだ。歴史を正しく認めようとすると、かならず天皇陛下に触れなくてはならなくなるから。
私たちはそうして永久に近隣諸国から、正式な謝罪をしてないことや、歴史教育の誤りについてとがめられつづけ、彼らの信頼を勝ち取れないでゆくのだろうか。
大東亜共栄圏や日本の戦争を正当化している人たちを論破できず、正しい教科書も作れないのは、みながみな、天皇の戦争責任にふれまいとするから。
もし、それが天皇制というものの存在の故なら、あるいは天皇を利用してうまい汁を吸っている人たちの隠れ蓑が天皇制なら、天皇制をまず廃止すべきだろう。
いや、私としては戦争責任だけではなく、お上の言うことには逆らわない、という日本的システムの根幹の思想の頂点にいる、非人道的システムである天皇制は、まちがっていると言いたい。
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by keiorihara | 2011-08-19 08:05 | 日本の戦争 | Trackback | Comments(1)
2011年 08月 15日

終戦記念日

きょうは終戦記念日だ。
アメリカにいる私は15日が今から始まるのだけれど、日本では15日は終わる。

昔からそうだったのか、いつからかそうなったのかわからないけれど、終戦記念日のニュースは武道館での「全国戦没者記念式典」の模様を知らせることが大きな柱で、いつも戦争は日本人にとって被害者的にとらえられるものだ。つまり、320万人の尊い日本の英霊に、、、と。
そして、戦争を遂行した張本人の天皇が(今ではその子どもが)”お言葉”をえらそうにのべ与える日でもある。

そして今でも多くの人は、日中戦争から太平洋戦争終結までに日本軍が2000万から3000万人という数えきれないアジアの人たちを殺したことを意識することがない。
終戦記念日とは、日本が起こした戦争を思い起こし、戦争がもたらした、すべてのむごたらしく空しい死に思いを起こすことではないだろうか。
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46th street & 8th Avenue,  Manhattan
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by keiorihara | 2011-08-15 22:03 | 日本の戦争 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 11日

Sunnyside

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Astoria(not Sunnyside)


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by keiorihara | 2011-08-11 01:45 | Queens | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 06日

反原発運動

毎日、福島第一原発のこと、それから発した原発問題、放射能問題などを読んだり聞いたり見たりしていると、ただでさえ足りない時間があっという間に過ぎていく。
何人かの東京の友達が反原発のデモに行ったときのことをメールで書いてくれて、胸がちょっと熱くなった。
ある友達はアメリカにも反原発運動はあるの? と聞いた。
すぐに思い出したのが1979年の夏、バッテリーパーク(ニューヨークのワールドトレイドセンターとハドソン川の間にあった広大な砂地)で開かれたAnti-Nuclear Rally(反核集会)だ。
その年4月に、スリーマイル島の原発事故がおきていた。

とにかくとにかく、もの凄い人の数。自分のいる場所からステージの人は豆粒くらいにしか見えないし、後ろはどこで終わっているのか端が見えないくらい。記録によると参加者20万人。
砂地は腰を下ろすのに気持ちがいいし、並んで寝そべっているカップルもいた。。
マイクを握った人の口調は、まさしく活動家のものだ。ベトナム反戦、ドラッグカルチュア、ロックミュージック、ヒッピー、そんな時代を彷彿とさせる人びとの光景。
当時連載していた雑誌「宝島」に写真と文章を載せたので憶えているのだが、トム•ヘイドン、ジェッシー•ジャクソン などたくさんの活動家や著名人のスピーチがあり、グラハム•ナッシュ、ジャクソン•ブラウンなどのミュージシャンが演奏し、来るはずのジェーンフォンダは、いま自宅に軟禁状態(意味不明だったが)だと、緊張感のある声でアナウンスがあった。
ウッドストックからちょうど10年、アメリカの反体制はまだまだ健在、というより、もっと確固とした方向性をもって動いていくのだなと感じたものだ。アメリカには反=核兵器、反=核実験がそれに加わるから、もっと複雑でシリアスな問題と思われた。

ちょっとそのころの反核運動のことを調べてみた。大きなものだけを取り上げると、
1977年、スペインのビルバオで反原発集会に20万人。
1979年、上記のニューヨーク反核集会。西ドイツ、ボンで12万人反原発集会。
1981年、ドイツ、ハンブルグで原発建設反対の10万人のデモが1万人の警察と対峙した。
1982年、ニューヨーク、セントラルパークでこんどは核兵器廃絶で、百万人がデモンストレーション。アメリカ史上最大のデモ。
1983年、西ベルリンで60万人。

ドイツでは、1971年の原発建設反対運動からずっと、反原発運動は警察力による多くのケガ人を出す激しいものとしてつづき、フランス、スペインでは、1973年のバスクでの反核運動からはじまり、70年代80年代をとおして反=核実験を含む大きな集会がコンスタントに行われた。

そして1986年にチェルノブイリ原発事故。その後ドイツ各地、ローマで反原発集会に15〜20万人。
アメリカでは数百人の抗議者がL.A. からワシントンD.C.まで6000キロを9ヶ月かけて歩き通し核廃絶を訴えた。寄付を集めキャンプをしながら一日平均24キロ歩いた核撤廃平和大行進。
イギリスでは1983年、バークシャーの三つの核兵器センター(工場?)を、7万人が手をつなぎ取り囲んで抗議をした。

チェルノブイリのあと、多くの国が原子力発電所建設停止の方向に向かったので、反原発運動は勝利のうちに収束したかたちとなった。
しかし2000年以降は、地球温暖化論がエネルギー問題の中心になって、CO2は悪玉、原子力はクリーンエネルギーと言われるようになった。
つまり、地球温暖化論によって、原子力発電は正当な位置を勝ち取ってしまったように見える。
オバマ大統領は、スリーマイル事故以降ストップしていた原子力発電所建設を再開すると宣言し、クリーンエネルギーで温暖化をくいとめよう、と高らかにうたっていた。
ジョージア州に建設予定の発電所はみな、日本の会社のものだ。(多分中止になるだろうけど)

2000年以降も、日本、アジア、ヨーロッバ、アメリカ、各地で原発反対、あるいは建設阻止運動は、大なり小なり活発に続いていた。
それを覆いかぶせようとしたのが温暖化論だ。敵は巧妙な手口で人びとを丸め込む。
しかし、こんどのFukushima, Daiichi は、その覆いをひっぺがすような大惨事となった。
原発撤廃の運動はこれからが勝負なのだろう。

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Long Island City


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L.I.C.
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by keiorihara | 2011-08-06 06:25 | USA | Trackback | Comments(2)
2011年 08月 03日

Sunnyside

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ポータブルラジオを手にもつ人とアイス売り


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高架地下鉄の駅の下


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サードワールドな光景


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歩いて2、3分でこんな家が並びます。


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こういう家を見るととても懐かしい。なぜだかわかりませんが。


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駅から10分くらい歩いたところにあるコミュニティガーデンの入り口から。建物はそのオフィス。
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by keiorihara | 2011-08-03 04:43 | Queens | Trackback | Comments(0)