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2013年 01月 26日

またまた、いじめ防止法と教師たち

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46 St- Bliss St Station, Sunnyside

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ラガーディア空港に向かう旅客機 Airplane approaching LaGuardia Airport


前回、頻発するいじめ事件に対して、いじめ防止法みたいなものが必要じゃないかと書きましたが、少し言葉が足りなかったかもしれません。
この法は子どもに対しての法ではなく教育現場に対しての法です。
学校内で起きているいじめを、見て見ぬ振りをしている教師が多すぎると感じるからです。
これは前回でもあげた、児童虐待•ネグレクトもしかり。新聞記事を読む限り、親に殴られているんじゃないか、食事を何日ももらってないのじゃなかろうか、そう感じていたはずなのに、ことが起きるまで教師は知らん顔をしていたとしか思えない事件がおきているからです。
つまり、見て見ぬ振り、見過ごすことは、教育者として責任を問われる、義務違反、という法律です。
これには一つ、教師たちがどう対処していいかわからない、という自信のなさ、つまり知識や経験のなさがあるのではないかと思います。
教師たちは専門家からいじめについて学ぶ機会を持ち、生徒とどのように接触するか、理解と技術の習得が必要です。
わたしはジョージア州アセンズ市で、学校やいろいろなNPOなどの福祉現場を取材をしたのですが、現場に専門家が充分な数きちんと配置されていることに感心しました。
すべての州立大学には福祉学部があり、大学院があり、児童虐待•ネグレクトの専門家、DVの専門家、児童心理の専門家、発達障害の専門家、精神障害の専門家、身体障害の専門家、など多数を輩出し、かなりの数いるべきところにいる。
日本のように去年まで市役所の土木課だった人が、今年から児童相談所に配置転換され、事件の現場に接触なんて考えられないことです。(いじめの話に、児童虐待を出していますが、DVとともに、関連し合っていることが多いからです)
これはひとえに日本の公的な機関が官僚的、つまり必要としている人びとのためにどうしたら一番いいかを考えるのではなく、この部署の体裁をどう整えるか、あるいは働いている人をどう使って役所の潤滑な運営をするかという発想から先に、人事を行ってしまっているからだと思います。

話が横道に外れましたが、教師が見て見ぬ振りをしないためには、いじめに関する研修会とかミーティングが必要だし、生徒と接触する教師にもっとゆとりがなければならないと思います。

まず、雑用で忙しい教師たちの毎日を改善するために、公立小中学校に事務室を作り、事務職員を3~4人雇うこと。テストペーパーや連絡の手紙を印刷したり、機械的にできる採点は頼んだり、行事の準備などをやってもらったり、教師がやっている雑用も管理してもらうのです。事務職員2人とアルバイトでもいいでしょう。(今はふつう事務職員は1校一人のようです)
電話も、まずは事務室が受け、親からの苦情、質問、要望なども、一度受付を通して整理、判断された形で教師につなげる。保護者からの苦情の電話で、教師は夜まで半日つぶれてしまうという話がよくありますが、このようなシステムを作らないと、教師は身体が幾つあっても足りないでしょう。

事務室を玄関の横に作って、そこの窓で学校の受付をする。訪問者の名前や連絡先を書いてもらったら安全にもいいし後日役に立つこともあると思う。(校長室に行くのに、歩いている先生を呼び止めて、その先生に案内してもらったりして、教師の雑用を増やしてしまう、そんなことが多すぎます。)
これはやはりジョージアで、小学校にボランティアに行ったり、中学や高校を訪問した際に、学校に受付がある便利さを体験したので。

今の日本の学校の状況では、教師が生徒の一人一人に眼を配ることは至難、と思えます。
教師は忙しすぎる、と言う声はたくさん聞くのに、ではどうすればいいか、という声を教職員があげないのはどうしてだろう、といつも思うのですが、文科省の官僚たちがこういうことで動くとは思えないと思うのでしょうか。それほど、教師たちは無力感を持っているのでしょうか。

あと、教育委員はアメリカのように(という言い方は嫌なんですが、とりあえず)、市議会議員選挙と同じように、選挙で選んでほしい。日本の親たちはどんな人が教育委員をやっているのか知らずに、教育に関するかなりの責任を任せている。教育のことなんかかつて考えたこともないような町の名士が教育委員をやって、教科書の選定をしたり、まずいことが起きると、ことを荒立てたくないというだけの立ち回りをしたりして、ことをややこしくしたりする。これほど反教育的なことはありません。
選挙にさほど幻想を持っているわけではないけれど、少なくとも、子どもは社会が育て、教育は市民みんなが考え見守ることという意識を、一人一人が常日頃もつきっかけになるのではないかと思うから。

なんか勝手な意見を大まじめに書いてしまったけれど、”いじめは悪いこと”と教える道徳的、倫理教育、みたいなことばかり言われているので、もちろん、それはとても大事なことだけど(それも教えるテクニックがなければ、意味ないでしょうけど)、やっぱり頑張っている先生たちが心身症なんかにならないように、環境を整えていくことからやったほうが健全で早いのではないかと思うのです。

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46 St-Bliss St Station, Sunnyside
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by keiorihara | 2013-01-26 07:08 | Queens | Comments(0)
2013年 01月 22日

さらにイジメのこと

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long Island City 国会図書館の広告 



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Long Island City ガソリンスタンド



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Long Island City 貸し車庫とロングアイランド鉄道の構内ヤード




いじめの事件が頻発して、ときどき思ったことだけれど、日本では「いじめ防止法」とか「いじめ対策法」とか聞いたことがないが、やっぱり必要なんじゃないか、ということ。
法律を作ろうとするときには、必ずその対象に対する”定義”を定めなくてはならない。教育の現場、あるいは親たちの間には、この、いじめとは何か、体罰とは何か、といった、定義がそもそもできていないことに起因する、甘さがあるのではないかと思う。といって、私にもよくはわかっていないことですが。

アメリカでは小中高の学校を対象にした Anti-Bulling Act 「反いじめ法」は、ほとんどの州で成立していて、内容は州によってマチマチだが、「嫌がらせ、脅迫又はいじめは、身体的に限らず、方法の直接、間接を問わず、言葉の口頭、書面の別に関わらず、1人以上の個人を傷つける意図を有する行為」といった定義がなされ、ハラスメント、サイバーいじめ(すべての電子的なやり取り)、つきまとい、脅迫の傍観なども刑法上の犯罪とみなす。
教職員の通報の義務、介入、被害者保護、親への通知、毎年州に報告し、データの公開の義務も負う。当然、「強制力を有するもの」と規定している。(国立国会図書館海外立法情報課 井樋 三枝子「アメリカの州におけるいじめ対策法制定の動向」)

上記は簡単な抜粋だけど、被害および加害児童のカウンセリング、親の告訴の権利などなど、立法化に伴って決められていることも多い。
アメリカの「児童虐待防止法」を思い出す。
ジョージア州で児童•家庭局のディレクターに話を聞いたときの、目から鱗の一つなのだが、
「教職員は、児童に虐待の兆候、疑いを見たら、すぐに当該局に通報する”義務”がある」 
という法律の条項がある。つまり、これを怠ると、教師や校長あるいは担当者の責任が問われるということ。
ディレクターの話では、
「発見の90%以上が学校や保育園からの通報です。だって、学校の教師は長時間、毎日、生徒の顔を見ているんです。わからないわけないんです。みな疑いの段階で通報してくれます。調べるのは私たちの役目だから」
もちろん、局の専門家が教職員に、虐待やネグレクトの見分け方、の教育もしているそうだ。
そして、通報先(児童家庭局)には児童虐待の専門家、ソーシャルワーカーが常に待機している、という話。

ところで、日本では「反いじめ法」はどうなっているかとググってみたら、
文科大臣の下村博文という人が、「いじめ対策防止法」という名の条例の準備をしていた。
しかし、彼は「いじめと暴力、恐喝などの犯罪は別ものであり、峻別して対応すること。」 と言っていて、どういうわけか、いくつかの別の人のサイトでも、同じ言葉が言われている。しかし、この、犯罪といじめの線引きは何処でするのだろうか。
むかし言われていた、レイプは犯罪だけど、痴漢は”いたずら”というのに、似てはいないだろうか。
もちろん、子どもの犯罪者は作ってはいけない、と思う。しかし、犯罪と同じなんだよ、という意識が、大事なんじゃないかと思えてくる。この社会は何十万人という傷ついた子どもたちを作り出し、たくさんの嘘つきの大人たちを作り出しているのだから。
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by keiorihara | 2013-01-22 03:32 | Queens | Comments(0)
2013年 01月 13日

夕暮れ from Woodside

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夕方、散歩に出た。
クーインズにはジョンFケネディ空港とラガーディアと二つの空港があるのに、全然飛行機を見ないなあと思っていたら、こんな近くで旅客機を見つけた。街の騒音が大きいので、飛行機の音は聞こえたことがない。このあたりは、ヒスパニックの人たちの多い住宅街。



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左にマンハッタンのエンパイアステイトビルと右にクライスラービル。真ん中はクイーンズのシティグループビル。
わが駅サニーサイドの隣、ウッドサイド駅ホームからの眺め。



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ウッドサイドから建築中のワールドトレードセンターを望む。


2013年の新年が明けて、私の心は重苦しい。
いじめ自殺のニュースのあとに、こんどは体罰。
私たちの学生時代より、日本の学校や社会の縦構造は、さらに厳しくなっているように思う。
時代に逆行するようなことばかりで、つらくなる。
教師や先輩からの体罰は、力あるものが、その力を暴力を使って弱いものに向けるパワーハラスメントだ。
教育でも修練でもなんでもない。
それを不当なこととして訴えることがないのは、教育界に体罰がなんであるかの、意識教育がまったくないからだ。
文科省の内実を知れば、パワハラやイジメの根源が、この教育界の縦構造のトップの隅々まで根を張っていて、文科省が”指導する”なんて偽善でしかないと思う。
イジメとは何か、体罰とは何か、文科省の人たち、教育界の人たちは、根本から話し合ってほしいと思う。
これは、子どもたちの問題ではなく、教師たち、教育界の人たち、大人たちの問題なのだということを肝に銘じて。
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by keiorihara | 2013-01-13 00:24 | Queens | Comments(0)