折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2014年 01月 06日

雪の墓地

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Calvary Cemetry

1月3日、朝起きると雪が降り積もっていました。
お天気はよく、でも寒そうなので、外の気温が上がってから外に出ようと待って、いちばん暖かそうな時間に外に出たのですが、零下11℃でした。
雪の白がただ美しく、家からどんどん商店街やら住宅街を離れて歩きました。
カソリックのカルヴァリ墓地の周囲をぐるりと歩き、正面入り口に入って行きました。
何と、雪かき車がこんなにきちんと道を整地しているではありませんか。
寒さで雪は溶ける様子はなく、細やかな粉雪はちょっとした風に、吹雪のように舞い上がるのです。
思い出したのは函館のトラピスト会女子修道院を訪ねた日の雪景色。
粉雪が吹雪いて先が見えないくらい杉木立がまっすぐ続いていました。


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カルヴァリセメトリーは、1.5平方km。
300万体が土葬されている、全米でもっとも埋葬者の多い墓地だそうです。


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こんな日にお墓参りをする人がいるのです。
お墓の中で寒い思いをしているのじゃないか、と、いても立ってもいられない気持ちになったのでしょうか。
すれ違った時の気配で、そんな感じがしました。
左手に何か重みのあるものを持っていました。


寒気の中を2時間ぐらい歩いていたので、さすがに足指が感じなくなるどころか、鋭く痛み始めました。
しかし、シベリアの零下40℃というのはどんな寒さなのでしょう。
先日読んだ本を思いました。

『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん著(文春文庫)
戦後ソヴィエトに抑留され、厳寒と重労働と飢餓、そしてくり返される拷問の中で、ひとりの男(山本幡男)が俳句や短歌を教え、勉強会を開き、、、
俳句や歌や詩をこんなに泣きながら読んだのは初めてです。
ヒューマニティ(人間性。人間として生きること)の根源、アートというものの本質に触れ、心が震える思いでした。

山本氏が収容所で息を引きとる前に、家族にあてた遺書を仲間に託す。
しかし、帰国時に文字の一字も持って帰ることは許されない。
そこで、長い4通の遺書を命がけで皆が記憶して持ち帰るという驚くべき深い友情、あるいは人間としての仁義。あるいは、、、人びとが感じていたのは、ミッションなのではないか。

極限状況の中で、こんなに立派に生きた人がいるということ。いや、人たち。
どうしてこんなに泣けるのでしょうか、自分は何に感動して泣いているのか、そのことをとても知りたくなりました。
シベリアの途方もない異国の極地で、いつ帰れるか、いや果たして帰れるのか、もうそのことだけでも泣けてしまいます。
明治時代のハワイ移民を描いた映画「ピクチャーブライド」で、工藤夕貴がハワイの浜辺にたたずみ、果てしない海を黙って見ている場面で、止めどもなく涙がこぼれた、そのことに共通することかもしれません。

ぜひみんなにお薦めするノンフィクションです。
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by keiorihara | 2014-01-06 16:41 | Queens | Comments(1)
2011年 09月 13日

9/11 ナインイレブン

ジョージアにいるときは気にもとめていなかったのですが、ニューヨークにいるとやはり落ち着きません。
若手の作品を展示する美術館 MOMA.PS1と写真の美術館ICPが、September 11 のメモリアルの展示をやるというので見に行きました。

どちらにもがっかりしました。
PS1では、”あの悲惨なできごとをもう一度思い出すために”というキューレーターの企画で、” フィジカルに、エモーショナルに”、思い出すのに役立ちそうな作品を一人1点ずつならべたもの。
作品のほとんどは9/11以前に発表されたもので、破壊された車の残骸、風に飛ぶゴミが写っている写真、工業機械を焼いたあとの灰など、見ながらどういう語呂合わせなのだろうというゲームをしているようで、その作品の当初の意味を完全に殺してしまい、安易で浅薄に感じました。

ICP も同じく、”Remembering 9/11 Ground Zero ” とタイトルされています。
"National September 11 memorial Museum" との共同開催で、いわば政府へ協力した仕事。
FEMAの依頼で現場で働く人などを撮った写真家のドキュメントと、もう一人はスライドショーで、空港の格納庫に納められたツインタワー崩壊後の残骸をこれも当局の依頼で写したものでした。(広島の原爆遺品の写真の撮り方を彷彿とさせましたが)

若いアーティストが 9/11をどうとらえているか、どんな発想で驚かせてくれるか、と期待したのが間違いでした。
しかし、これほど政治的な事件にたいし、狂信のテロリストが起こした悲劇、としかとらえないアート、写真など、何の意味があるでしょうか。このことによって引き起こされたアフガン戦争、イラク戦争について言及することなど皆無なのです。あれほどたくさんの疑問の残る事件について、おかしいと思わない人はそんなに多くないはず。しかしアートがこれなのですから、9/11はアメリカの新しいタブーというものなのでしょう。
ならば、はじめから関わらなければいいのにと思いますが、アートも今はアメリカの大きな産業ですから、そんなものなのでしょう。

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 PS1 の窓から。とても曇った日でした。
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 作品ーへこんだ車体の一部
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 窓の外の方が面白い
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そのあとに行った、バッテリーパークと昔呼ばれていたグラウンドゼロとハドソン川のあいだの埋め立て地、いま呼ぶところのロックフェラーパークでおこなわれた 9/11 記念のパフォーマンスはよかった。
これは1958年初演のモダンダンス。(あるいはポストモダンの古典?)
幾つものグループが出たのですが、洗練されたものを見ると政治なんか忘れてしまいます。
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by keiorihara | 2011-09-13 16:50 | New York | Comments(0)