折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2013年 12月 12日

アメリカは崩壊するのか?  From the platform at Queensboro Plaza

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夜のクイーンズボロプラザの駅のプラットフォームから。
二つの給水塔を挟んで左がエンパイアステートビル、右の尖塔がクライスラービル。
アメリカが一番夢を持った時代の象徴です。(1931年と1930年建築)


ニューヨークは本当に信じられないくらい安全になりました。
30年前は、地下鉄の中で居眠りどころか、本を読むことすらためらわれました。夜中に酔っぱらって地下鉄に乗るなんてとんでもない。24時間走っているにも関わらず、夜12時を過ぎたころには、乗客はまばらにしかいませんでした。
今では、まるで東京みたいです。iPadやキンドルで本を読ことはおろか、スマートフォンでゲームをしていたり夫婦喧嘩をしていたり(これは東京では禁じられてますが)。真夜中でも、立っている人がいるくらい混んでいます。

で、景気はどうなの? 合衆国の衰退度はどうなの? 実感として? という質問をもらったのですが、こういうのはどう書いたら良いかわかりません。デトロイト?  ヘエーそうなの、って感じです。
数年前にロサンゼルスが破産したというニュースがありましたが、行ってみると、ダウンタウンはどこも30年前と比べると雲泥の差できれいになっていて、予想したより豊かな感じがしました。(日本の変化に比べると、たいしたことないかもしれませんが)
財政破綻でキツいのは、公務員です。学校の教師への給料の未払いが続出、閉鎖に追いやられる学校も、というニュースは覚えています。
ニューヨークも2年前には、ニューヨーク市の職員の人員カットに反対して集会をくり返しているグループがあったり、サニーサイドでは、図書館を閉鎖させるな! というビラをもらったこともあります。オキュパイウォールストリートの運動もこの頃始まったのですが。
しかし、サニーサイドの図書館はますますDVD など充実して賑わっているし、学校の閉鎖はまた別のシステムの問題があります。

学校の閉鎖といえば、ニューヨーク教育省下の公立学校1750校(含404高校。高校も義務教育)を対象に、poor performanceの学校(卒業者、出席率、学力テストの成績不良、環境不良など)下から数十校が、毎年ニューヨーク教育省から勧告を受けます。
「これから学校がものすごく努力して良い結果を出すか、さもないと閉鎖するぞ」という勧告です。

2011年でいえば、47の学校(20小中学校、21高校、6チャータースクール)が閉鎖の勧告を受け、実際に閉鎖された学校は2011年と2012年にそれぞれ19校ありました。(勧告から閉鎖までに数年あるので、勧告を受けた学校が翌年閉鎖になるわけではありません。反対にトップ55校は、報奨金1500万~3000万円を受け取りました。)

多分、閉鎖された学校の多くは貧しい地域にあると思います。それは、学校の経営費は州や市の他に、大きく格差がつく固定資産税でまかなわれているからです。高級住宅地にある学校と福祉住宅の住民が多い学校では、その運営費はすごい格差があります。先立つものがないと努力の仕様がない、先生の数も少なく、教育に手が回らない親も多いでしょう。競争をさせてレベルを保つ、という発想は決して悪くはないと思いますが、非情なやり方とも思えます。これは、政府の援助を受けて運営する福祉NPOなどと、同じ扱いなのです。成績のよくないNPO は、どんなに歴史があろうと、理念が良かろうと、閉鎖に追い込まれます。

去年のニュースですが、こんな話があります。
マンハッタンのアッパーイーストサイド(いわば高級住宅街)の学区の公立小学校に通う12歳の自閉症の女生徒の両親が、娘がクラスメートにいじめられているので私立への転校を余儀なくされている、ついては教育省に対して私立の授業料年間400万円を払えと訴えていて、どうやら訴えが通りそうだと。
これが通ると、いじめを理由にして私立に転校させたい両親が軒並み訴えて、われわれ市民の税金が私立学校に払われるということになるのではないか、というのがマスコミの論調でした。

現在、連邦法では、児童生徒がdisability(障害=身体のみならずLD(Learning Disability=学習障害)やアスペルガーなどの発達障害、自閉症症候群などを含めて)をもっている場合で、その学区の公立学校がその受け入れに準じていない場合、その条件を備えた私立学校の授業料を、教育省がかわって支払うことになっています。 
実際、全国110万人の児童生徒がそれらの特殊教育を受けていて、年間235億円を、教育省はdisabilityの子の授業料として私立学校に払っているそうです。

ですがこの少女の場合、LDの子とふつうの子が同じクラスですが、障害の子に複数の補助教師がついているというやり方だった。つまり、障害者に対する相応の待遇は受けていたわけです。ですからあくまで転校の理由は、いじめ、ということ。
ですが、公立学校側が親からのいじめの訴えを否定した、ということで、いじめの調査とともに学校側の障害者への指導や対応の調査がおこなわれ、、、
数日後のニュースでは、私立の授業料400万円を支払うようにという裁定が下ったそうです。
そこでマスコミは、識者に語らせています。「この例をとって、自分の子を私立の学校にやらせたくて、いじめられたと訴えても話が違います。これはあくまで、障害者の待遇にたいする問題ですから」と。

これらの話から、なにを読み取るでしょうか。私は、アメリカはけっして貧しくはない、と思います。
もちろん、私のまわりに景気のいい話はありません。フリーランスや若者が仕事を得るのがたいへんなのは日本と同じ。
アメリカの就職は、意外とコネクションの世界なので、潜在的コネ(血縁地縁や学校関係など)がない人は、自分でコネクションを作らなければなりません。
学校を出て就職したい人は、自分で働きたいと思う職場に行ってインターンを申し込むのです。そこでタダ働きを(Non Profit の場合はボランティアという)半年とか1年やって(バイトをしながら)、そこで能力ややる気を認められて正式に契約するという厳しい世界です。
しかしこれは、皆が皆同じ黒いリクルートスーツを着て、下手な鉄砲数打ちゃあたる式に就職試験を次から次に受けてへとへとになるどこかの国の若者より、実質的で、人間関係的なことかもしれません。
私は、求職案内を見るのが趣味なところがあるのですが、ニューヨークの数ある日本語新聞サイトに限っても、IT関連、デザイン、経理、マネジメント、セールス、店員、日本レストラン、毎週毎週すごい数の求人がある。仕事はあるのです。
しかし、マンハッタンのイーストビレッジで33年前、週3日ウェイトレスをしながら写真を撮って、三部屋もあるアパートメントの一部屋を暗室にして、お気楽に暮らしていた、今ではそんな生活は夢のまた夢です。

というのはここ10年くらい、天井知らずの不動産価格の上昇で、信じられない高家賃ですから。今年は、全国的にもここ30年間で最高の上昇率らしい。
マンハッタンで売り出されているアパートメントの部屋が、10億、20億円 (1ドル100円換算)なんていうのはざら。セントラルパークウェストで去年売りに出されたもので50億円なんてのもあります。
ちなみに2012年のマンハッタンのアパートの平均販売価格は1億4800万円で、2011年より9%も上昇しているそうです。
ダウンタウンに天井の高い大きなロフトを買って住んでいる友人がいますが、メインテナンスで毎月22万円も払っているそうです。
家を所有しても、ビルの所有者はさらに搾り取ろうとするわけです。

そんなわけで、1ベッドルーム、あるいは2ベッドルームで、マンハッタンやブルックリンの近いところは家賃30万円以下ではありません。
ちょっと洒落た作りだと、Studio(ワンルーム)でそれくらいします。
だから学生や若者はたいていルームシェアということになります。
独身の街ニューヨークで、30を過ぎた会社員がルームメートと暮らしている、異常なアメリカ人の生態です。
そして、約30%の人たちが給料の半分以上を家賃に費やしているそうです。

かたや、高層ビルの億ションが次から次に建築されています。
クイーンズのロングアイランドシティではいつでも、建築中の40階、50階の高層マンションの槌音が響いています。
半分くらいは空き室だと聞きました。それでも数字を動かしているだけの人たちは儲かるわけです。

それで、実感はどうなのって?
服やレストランは8%の消費税ですが、野菜や食料品すべて、口にするものは税金ゼロです。
これはかなり気持ちのいいことです。
もちろん、貧乏をひしひしと感じる毎日ですが、
この国で病気になったらヤバい、と
肉は最小限に、買うときは全部オーガニック。(倍近い値段ですが)
魚も養殖は避けて、海で泳いでいる魚、川魚の捕獲したもの。
穀類も、 愛用の9割玄米がオーガニックじゃないのですが、でも他は全部オーガニック、パンはみな家で焼きます。
乳製品もほとんど取りません。(ホルモンなどがヤバい)
プロセス加工食品もなるべく食べない。(といっても無理ですが)
近郊農家が近所にもってくる新鮮なオーガニックのリンゴを皮ごと食べると、ああこれぞリンゴ、という味がしておいしい。

で、どうなのって?
夫は、この国は早く崩壊してほしい、と言っていますが、まだしばらくそうはならないでしょう。
アメリカは恐ろしい国ですが、日本は、相当イカレて見えます。
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by keiorihara | 2013-12-12 15:51 | USA | Comments(3)
2013年 08月 19日

サニーサイドからエンパイアステイトビルを望む / 不自由な日本語2

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サニーサイドからエンパイアステイトビルを望む The Empire State Building, as viewed from Sunnyside

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<不自由な日本語  2>

ニューヨークに住み始めてまもなくのころ、ネットでおもしろい英語クラスを見つけて通った。
一人のベテラン英語教師が、NY市に申請して、市から給料の支払いを受けて成立させた独立無料クラス。
生徒は当然外国人ばかり常時20人くらい。教室はNPOが運営している教育プログラムの建物の一室を借りている。中庭を挟んでいるので風通しもよく、静かで抜群の環境である。
教師というのがなかなかのインテリで、社会問題、国際関係などからのトピックをかなり深く突っ込んで語り、そのあと、" How do you think?  Discuss! " と投げかける。生徒たちは近くに座った数人でグループを作り、その話題について議論をする。それがパターン。

その中に若い日本人の女性がいて、そのひととは頻繁に同じグループになり、いろんなことを英語で話した。
商社マンの夫の転勤で、彼女は会社をやめて一緒にニューヨークに来ていた。クラスの中では英語を話すように言われていたし、私たちもそれをよしとしていたので、休憩時間も、クラスの帰りに二人きりになっても英語で通していた。それはけっこう楽しい語らいだった。日本人同士だから、拙い英語で話していてもどんなニュアンスも伝わってしまうのだ。
社会問題にとどまらず、たとえば人間関係の心理的な話、夫婦関係や会社関係の話を英語ですると、とてもわかりやすく、英語自体が持つ論理力に助けられて、元商社勤めの若い人と、ほとんど同じレベルで人間関係、日本社会の話などができたのだ。つまり、とても頭の良い若者だった。

で、数ヶ月経ったある日の帰り道、日本の話をしていて、これは日本語で話したほうが早いと感じて、どちらからともなく自然に日本語に変換した。
ところが、そのとたんに若い日本人のクラスメートは、わたしにデスマス調で話し始めたのだ。
私はすごくショックだった。直前まで友達同士の会話をしていたはずのクラスメートから、突然、距離をとられたと感じた。

「そうよね、それって何々だよね」「ほんと、私もそう思う。それはこういうことじゃない?」という感じで、まったく平等な友達同士の会話をしていた、と思っていた(思い込んでいた)私は、日本語になったとたんに相手から「そうですよね。それは何々だからだと思うんですけど」という受け答えをされたのだ。
わたしはいつも通りの会話をしているのに、相手は私をかなり年上の人と見定め、デスマス調だけでなく敬語まで使って話されたのだ。このときの、あああ、何ということ、、、! という、夢から現実に突き落とされたような感じ、これは、経験したものでないとわからない感覚かもしれない。
私にとっては、まったく予期しない事件だった。
すごく寂しく感じた。私たちは友達だったのではないか。友達のように話してくれないと寂しくなっちゃう。私は彼女にそのことを正直に伝えた。
彼女は答えた。「いえ、わたしにとっては自然な日本語なんです。だって、ケイさんは年長者なんですから。そんなに意識する必要はないのじゃないかと思いますけど」と。確かに、それは正しいのだけど、、、

私は日本語でこうやって書いているし、「ニューヨーク写真日記」のブログを書き始めてから、いつも日本語が頭から離れなくなった。
日本語は脱力して話せる便利なよくできた言語だと思っている。日本語のいい加減さが好き、とも言える。当たり前である。日本語は私の母語であり母国語なのだから。それでもなお、日本語の嫌いなポイントは大きい。
それは、日本語が差別言語であること。

日本人同士が、いざ会話を始めるときには、瞬間的にというか無意識の領域かもしれないが、常に上下関係で話し方を変える。つまり、日本語の中には、つねに上下関係というものがある。
年上年下、上司部下、教師や聖職者や特別な役職の人、仕事上の関係とそうでない場合、近親の度合い、商売人と客、クライアントと請負い業者、、、昔は夫と妻、姑と嫁、と、際限なく、どちらが上かで話し方が変わる。その特別筆頭に皇室があるが。

私は相当に敬語が苦手で、敬語を使わずにすむなら、そうしてしまう礼儀知らずの人間である。
そういう私も、親しくない、あるいは社会的関係の人には年齢を問わずデスマス調を使うし、5歳よりもっと上の人と話す時は、どんなにいろんなことを話せる友情を感じる人でも、どうしても敬語になっている。
でも、時々、この人とはただ自由な友達関係なのだからデスマス調じゃないほうがいいなあ、と感じることがある。
でも、そう思っているのに自由になれない自分がいる。それは半分は自分のせいだけど、半分は日本語自体のせいである。
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by keiorihara | 2013-08-19 23:23 | 日本語と英語 | Comments(4)