折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

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2013年 11月 30日

またまたSunnysideー公園について

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公園でダンスの練習をするバングラディッシュの若者たち。
聞くと、友達の結婚式で花嫁花婿を迎えるための踊りだそうで、長い時間、飽きもせずにリハーサルをくり返していました。もちろん、そこに大人がいるわけでもなく、かなり楽しそうでありました。

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ビールの空缶が山になっていますが、この量はどうしても理解ができません。

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サニーサイドのような平凡な街でも、ブロックごとに謎の光景があります。



日本ではとんでもないことが起きていますね。
多数決が民主主義と教わったまま、論議を尽くす方法を教わらなかった戦後民主主義の平和ボケのツケでしょうか。

アメリカにいて、思うことはたくさんあるのですが、身近なことから話すことにします。
たとえば、若者たちがダンスの練習をしていた写真から思いつきましたが、ウチの近くの公園の話。

ニューヨーク市が管理する公園は、私のアパートメントから3分と10分歩いたところに二つありますが、どちらもバスケットボールや壁打ちテニス程度のコートや野球場などが、早い者勝ちでタダで借りれ、大人たちがけっこう遊んでいます。
それからドッグランと、もちろん子供の遊園地。
どこにも、周辺にはたくさん木製のベンチがあります。ベンチのまわりには大きな落葉樹があって、夏は緑の下で読書ができるし、冬はひなたぼっこができるのです。子供を連れて来た親たち、ベビーシッターたちは、皆ベンチに座って、子どもたちの様子を見張っています。
あるコーナーには石でできた無骨なテーブルがあります。ここでランチをしたり、勉強している人たちも見かけます。

ところで、これらの公園には、毎朝、一人か二人のユニフォームをつけた掃除人が来ます。すごくにこやかに挨拶をかかさない人もいれば、無愛想な人もいます。それはどうでも良いことですが。
問題はここ。
これらの公園には、やはり時折ホームレスと思える人が、ベンチに横になって寝ています。
なんか臭いなと思うと、そのような人がいるのです。でも、掃除人たちは決して彼らを起しません。
起さないように、そうっとまわりを掃いています。私は鼻が敏感なので、となりのベンチに座りませんが、案外みんな平気で座っています。ホームレスにも公園を使う権利があるのは言うまでもありません。

東京の実家の近くの公園には、幼児のための遊具はたくさんあるのに、ベンチが一つもありません。小さくて二人座るのがやっとで、大人が座ると壊れそうなベンチが砂場の横に一つあるだけ。ホームレス対策だと聞いています。
しかし、幼児を連れて来たお母さん、いや昨今はおばあさん、おじいさんが多いに違いありません、いったい子供が遊んでいる間中立っていろというのでしょうか。
周辺に美しい桜の木が植わった広い公園に、いつも人っ子一人いません。誰も遊びにこないのです。幼児が来ないのなら、小学生にボール遊びくらいさせてやったらどうだろうかと思います。均一整地された公園の真ん中はだだっ広く空いていているのに、ボール遊びさえ禁じている。
市立で公共サービスのための公園だけど、形だけで心がないととても思います。
いろんなことが形だけ。日本について、しばしば思うことの一つです。

(もちろん、思いやりがあると思うこともたくさんあります。たとえば東名高速などのサービスエリアのトイレは過剰なほどのサービスです。これは、消費に対するサービスですね。過剰なほどの消費に対するサービス。あるのはそれです。観光地もしかり。お金を払ったことにはサービスがある。アメリカでは消費にサービスはついてきませんが)
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by keiorihara | 2013-11-30 16:07 | Queens | Trackback | Comments(1)
2013年 11月 11日

サニーサイド Sunnyside

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最近、戦争に行った、あるいは戦時中に生きた日本の親たちがどんどんいなくなって行く。
神格天皇、富国強兵、教育勅語、軍国少年少女たちはどのように作られて行ったか、今のうちにしっかりと聞いておかなければならない。
戦争責任からのがれた天皇が戦後どのように復活し、政治利用されてきているか、わたしたちはいまこそきちんと検証しなければならない。
中国人、韓国、朝鮮人にたいするヘイトの感情をあおる政治、マスコミ、教育に携わる人たち、それからネット右翼、で蔓延している日本がどんな道を進もうとしているか、若い人たちに、これからも機会があるたびに語って行こうと思っている。
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by keiorihara | 2013-11-11 22:49 | Queens | Trackback | Comments(3)
2013年 08月 29日

サニーサイドの夏2   Summer in Sunnyside2

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by keiorihara | 2013-08-29 00:20 | Queens | Trackback | Comments(0)
2013年 08月 12日

サニーサイド の夏  Summer in Sunnyside/不自由な日本語1

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ルーマ二ア人とおぼしき老婦人


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スペイン語で話したり英語で話したり。コーヒーショップの前のベンチで。


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サニーサイドガーデンの一角


<不自由な日本語 1>

夫の甥の結婚式にワシントン州に行ってきた。 
式場はシアトル沖に点在する島の中のリゾートで、皆のんびりと休暇をとってやって来た。
海を背景にセレモニーを外で無宗教でやるのが流行っているようだ。

本人たちはコロラドに住んでいるので、長野に住んでいる人たちが瀬戸内海の小島の別荘地でウェディングをやるって感じだろうか。友達も含め、ほとんどの人たちが飛行機に乗リフェリーに乗り、やって来るわけだ。そのせいか、行事は2日にわたっていて、前日は家族が泊まっているホテルの庭でライヴコンサート付きのパーティ、翌日は式場のまわりの庭で長いパーティタイムがあった。総勢90名くらい。

で、次から次に紹介されたり、自己紹介し合ったり。
久しぶりの人も初めて紹介された人も、頬を右左にくっつけて挨拶をする。
そして力一杯抱きしめて、再会を喜ぶ。親戚の場合、これは良いなあと思う。お義父さんが生きていた頃、会うたびに心から抱きしめてくれた。
よくも息子と一緒になってくれた、という感謝の気持ちも、私を気に入ってくれているという気持ちも、十分伝わった。
身体を寄せるのは気持ちの伝達にとても良い。日本人は親子の間でさえ身体を触れることがない。儒教のせいだ。

そして英語というのは社交の場では、とくに良いものだなあと思う。
十代や二十代の若い子が、まったく臆せず五十代や六十代の大人と、完全に平等な態度で話をしている。
敬語がないということは、どんなにか自由なことかと思う。子供に対しても、年配者に対しても、話す言葉は最初から最後まで同じ言葉だ。
これは特に、子供の自由と自立を促す。

若者たちはいつもの仲間とのスラング続発の喋りかたではないにしても、年上だからって身構えたリ、返事が少なめになったりしない。
敬語がないことは社交を容易にしていると思う。もちろん、幼い頃から社会性を親が訓練するアメリカだから、言葉の問題ではないかもしれない。
しかし、若い日本人にとっては容易でないはず。

甥、姪にとって、こちらはおじさん、おばさん。日本でこの関係は、まず言葉で自由を奪われる。身内で近い関係にも関わらず、年上なのでタメ口をきくことをためらってしまう。
これは言葉の問題だけでなく、身分制度の問題もあるだろう。子供が自分を年少者として位置付け、年上の人間に対して距離をとる、という儒教的な身分観である。
たしかに私が子どものころ、遠くの地方に住む母の兄つまり伯父に、、どのように話していいかわからず、デスマス調か友達調か迷い、とても不自由を感じたことを覚えている。子供の頃、友達同士の喋りかたをしていた従姉妹と、おとなになって疎遠になった今では、いつのまにかデスマス調になっている。こういう不自由感が日本語の嫌いなところだ。
私は、できることなら敬語は減らす方向に向かってほしいと思う。

ところが、TV を見ていると、「XXさんのご本を読ませていただきましたが」と、そこにいない著者にまで敬語を使っている。「〜させていただきます」の連発である。
出版社にフリーのライターがファックスを送るのに、「計3枚Faxを送ります」ではまずいそうで「計3枚Faxを送らせていただきます」と言わなければならないらしい。本当にばかばかしい。
どっちが身分的に高いか、暗に計っているのだ。身分制が少しずつ復活しているのかもしれない。
過剰な敬語は、この時代の日本の向かっている方向とどこか重なりあっているようで、いい気持ちがしない。
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by keiorihara | 2013-08-12 17:51 | 日本語と英語 | Trackback | Comments(4)