折原恵のニューヨーク写真日記 - New York Photo Diary by Kei Orihara

keiorihara.exblog.jp
ブログトップ

タグ:写真 ( 10 ) タグの人気記事


2015年 01月 15日

不自由な日本語 4

a0215638_843643.jpg
Green Point, Brooklyn



クイーンズの自分の家の周辺から写真を撮り始め、勝手気ままに思うことを書いてきたが、写真と文章をどうじに掲載していくのはいろいろと問題を抱えることになる。
まず、写真を選ぶときに、話の書ける写真、あるいは物語れる写真のシークエンス、を選ぶ傾向ができる。
選んだ写真にキャプションを書くのは楽で、かつ楽しいことなので、それに甘んじて、その傾向をつづけてしまう。
ニューヨークはどこを歩いても絵になるし、発見があるので、その行為は無限につづけることができるだろう。
読者もそれなりに楽しんでくれているように思う。

しかし、じつは、写真というのは本質的に、言葉で説明できないものが多いのだ。
そういう写真が山のようにたまっていることに気づいて、その処置にほとほと困っている。
そしてまた一方、自分の書きたいこと、伝えたいこと、というのは、物語やすい写真のあとではなかなか始められない。
しかし、わたしには書いていきたいテーマがいくつかある。それがなかなか始められないでいる。
写真のストックをあちこち眺めては逡巡、そんな新年このかたであった、という、更新が遅れた言い訳である。

日本語については <不自由な日本語>と題してこれまで3回、主に、差別語である日本語という点で書いたけれど(カテゴリ=「日本語と英語」参照)、つづきを書いていきたいと思う。
日本語の問題にこだわるのは、ひとつはわたしはアメリカ人と結婚して10年たつが、コミュニケーションの仕方の問題で日々文化摩擦を繰り返していて、日本語について考えざるをえない状況に直面しているからだ。
これが、うんと若いうちに英語をマスターしていれば、英語を話す時と日本語を話すときは、すっかり人格を変えて(という言い方が酷ならば、完全に頭を切り替えて)話すということを自然にやれる。つまり、英語が”身についている”ということだ。
しかしわたしのように、日本人との結婚生活も経験し、仕事を通して日本で長いあいだ社会生活をし、年をとってからアメリカに移住し、そのうえで英語を学びながら英語の生活を始めるというのはなかなかすんなりいくものではなく、首を傾げながら、ちがいを理解して、ひとつひとつ受け入れていく類のこととになる。
だから、若い時に英語を身につけて、苦もなく英語を喋っている人なら意識しないようなことを意識することとなる。
日本人は、自分たちのことを誤解しているのではないかと。

もうひとつは、日本でいわれる、国際化ということを考えるとき、つまり、なぜ日本はいつまでも国際化できないのか、と考えるとき、わたしは、日本語の問題が関係しているのではないかと思わないではいられないのだ。そのことまで到達できるかどうかわからないが、少しずつ書いていきたいと思う。
[PR]

by keiorihara | 2015-01-15 15:43 | 日本語と英語 | Comments(0)
2014年 03月 04日

雪のガントリーパーク 3 Gantry PLaza State Park

a0215638_185597.jpg
ガントリーパークからイーストリバーを隔ててマンハッタンの南側をのぞむ。


a0215638_182319.jpg
最近まで、色もはげて打ち捨てられたような看板でしたが、そしてあたりは廃墟のような場所でしたが、ガントリーパークの拡張で公園内の建物になり生き返りました。
1937年にたてられたヨコ37m、タテ18mのネオン広告。ここに当時はペプシコーラの瓶詰め工場があったそうです。


a0215638_21660.jpg
エンパイアステイトビルディングとミッドタウンをのぞむ。



ガントリーパークが続いてすみません。
写真整理に時間がかかり、おまけにいつも頭を悩ますことですが、一回分の写真のセレクトや組み合わせ、並べ順序などに手こずってしまい、更新の間が空いてしまいます。コンピューターの前で、そんなこんなで時間を費やしていると、書こうと思っていたことを書く時間とエネルギーが残っていません。

1枚ずつにするのよ、そうすれば簡単だし、もっと頻繁に更新することができるでしょう? と友人は言います。
それはそうかもしれないけど、それでは誰でもできるじゃないか、と思ってしまうのです。
簡単すぎるんじゃないかって。1回ずつの楽しみをサービスしなければいけないのじゃないか、そのための産みの苦しみ、ってヤツがないと、プロとは言えないのではないか。
、、、見ている人がその努力をどれだけ受け止めてくれているか、全然わからないのに。

確かに、組写真または群写真こそ、写真表現の基本です。
しかし、写真の組み合わせをしていくと、それだけで自分の中の物語が完結するので、別の話を書くのが難しい。書きたいことがたくさんあるのに書き出せない、というのもあります。
で、このブログ自体がひとつの群写真表現なのだから、小さい組を作るのに時間を費やす必要はそうないのかもしれない、と考えることにしました。
というわけで、これからなるべく1枚か2枚でもっと頻繁に、と言うふうに心がけてみようかと思います。
今までだって試行錯誤の繰り返しではありますが。
[PR]

by keiorihara | 2014-03-04 03:40 | Queens | Comments(0)
2013年 05月 10日

アストリアの夜 A Night in Astoria, Queens

a0215638_12285878.jpg



a0215638_12283897.jpg



a0215638_1228695.jpg



a0215638_12274216.jpg



a0215638_12262131.jpg

何ともいえないこの多国籍の”濃さ”を、日本にいる人に写真でつたえることができるだろうか。
写真というのは、どの程度、こうした感覚をつたえることができるのだろうか。
これらの写真に写っているどの一つもが、マンハッタンやブルックリンにはない。
”郊外”ではあるけれど、”アメリカの郊外”ではない。
アメリカ人的、知的美的に洗練されたセンスはここにはない。
トレンディが全然なく、あまりにも庶民的で野暮ったい。
ちょっと気取ってみても、どうしてもクイーンズだと感じさせられる。
今では、このどうしようもなくかっこ悪い街が、
私にとって、
シャッターを押したくなるところ。
不思議である。
[PR]

by keiorihara | 2013-05-10 14:55 | Queens | Comments(2)
2013年 02月 18日

ある日のセントラルパーク2   A Day in Central Park 2

a0215638_16292622.jpg
Central Park, toward evening.



a0215638_1633524.jpg
Covered with thin ice.




a0215638_16315624.jpg
The Lake, frozen over.


写真をデジタル化したら、やたら新しいことを学ばなければならず、
もう人生時間が残り少ないというのに、何でこんなことに時間を費やさなければならないんだと思ってしまう。

人間はなぜもこんなにややこしいことに精力を使うようになったのか。
写真というのは光学が、直接身体と精神にすんなりと入って来るものだった。
カメラも引き伸し機も、光というものを自分の手で、あるいは心で、フィジカルに左右するものだった。
撮影も暗室作業も、今から思えば、身体で覚える労働だった。

写真の整理ソフト、編集ソフトなんかを、マニュアルと首っ引きで、
このところ、新しいソフトを使いこなせるようになろうと、苦手な部分の頭脳を使っているわけです。
暗室は、職人の世界だったなあ、とつくづく思う。
基本はじつに簡単、あとは自分の勘や経験とセンスで錬磨できる。
私は暗室作業が大好きでした。

確かに、デジタルカメラになって、撮影はずいぶん楽になったと思う。
そして気楽にもなった。フィルム代や現像代の心配をしなくていい。
でも、ダークルームがライトルームになって、ほんとうにややこしい。

それこそ私は人生も半ばをとうに過ぎて、他の国に移民したということだけで、もう精一杯で、
覚えなければ、あるいは身につけなければならない新しいことが人の百倍くらいあるような気がしているのに。
それなのに、その上、デジタル化である。

ごめんなさい。更新が遅れた言い訳をしているようです。
でも、なんだかんだといっても私は、ブログという表現形態を気に入っているのです。
辛抱して勉強しよう。
[PR]

by keiorihara | 2013-02-18 10:06 | Manhattan | Comments(0)
2012年 12月 18日

ウィリアムズバーグ Williamsburg, Brooklyn

a0215638_158934.jpg



a0215638_1592453.jpg



a0215638_1574745.jpg



a0215638_1582120.jpg



a0215638_15832100.jpg



a0215638_1585440.jpg



a0215638_1584329.jpg



a0215638_159734.jpg


ブルックリンのトレンディな街ウィリアムズバーグ周辺に行くと、どうしてもファッショナブルなお店や若者たちに目が行き、そのようなものを撮り始めると、何というかつまり、ニューヨークはトレンディでカッコいいものを撮り始めると際限がないのです。

この写真は、写真を撮ろうと思ってこの地域ウィリアムズバーグを歩いたわけではなく、用があって歩いたついでにシャッターを切ったものですが、ほんのちょっとの距離、わずかな時間で、荒手のアーティスティックな情景がどんどん撮れてしまう。
だから、なるべくファッショナブルやらトレンディな人たち、お店なんかを避けて、でも街の感触がわかる、そんなふうにシャッターを切っていました。

80年代のイーストビレッジのようなかっこ良さと似たものがあるのですが、ちょっと違う。そのころのイーストビレッジには、商業主義はほとんどなかったし、リッチな人や観光客など1人も歩いていなかった。
しかしここはもはや、家賃が安いから住みはじめたアーティストよりも、アーティストがいるから、ファッショナブルなお店があるから、どんなに高くてもこの辺に住みたい、といったトレンディ好きの人たちの町になっているような気がします。(実際、このあたりはマンハッタン並みに家賃が高い)

今では、クイーンズのあの平凡さ、フツーさ、貧しさ、なんかのほうが、わたしにとって新鮮なニューヨークで、シャッターを切る意欲を起こさせるものです。
かっこ悪いもの、というのはそんなに簡単じゃないからです。
[PR]

by keiorihara | 2012-12-18 01:32 | Brooklyn | Comments(1)
2012年 12月 02日

写真とキャプション  Subway Station  &  School

a0215638_13233574.jpg



写真を一つ一つゆっくり見てもらおうと、写真一枚ずつにキャプションを書いてきたましたが、書いた言葉が、こちらが撮影した意図や気持ちと外れていることも多く、この内容ではちょっと違うのだけれど、何も書かないのは不親切のような気がして、というわけでキャプションを書いてきました。

写っている対象を見てほしい写真の場合、わたしは写真のすみずみまで見てほしいと思い、キャプションを読んだらもう一度写真に目が行くようにと言葉を書いてきました。
1枚の写真を楽しむには、見る人の経験や知識や想像力が必要です。このブログのクーンズの写真で言えば、世界の国々をたくさん旅している人や、その土地を知っている人、民俗や文化によく通じている人、本を読んで知識のある人、そういう人が写真を見て受け取るものと、そうでない人では、受け取り方がぜんぜんちがいます。ヒスパニックの人たちを撮っていても、日常的にそういう人たちを見ていなければ、写真を見る人たちは、気づかないかもしれません。建築物の装飾が面白いと思って撮っても、それがどういう時代のどのような建築様式に依拠したものかがわかって、それゆえに写真が面白く見える人もいれば、写真を見ても、ただ日本じゃないところのなんだかわからない風景としか思わない人もいます。言葉は、写真をより楽しむために、だから必要だと思うのです。
 
ベトナム戦争を取材していて地雷を踏んで亡くなった沢田教一という報道写真家がいました。死後に出版された『SAWADA』という大判グラフ誌サイズの写真集を見ていて、1枚のモノクロ写真に目が釘付けになったことがあります。
見開き2ページに大きく載った写真なので、細部まで見て取れる写真なのですが、”ベトナムの子供たちにクリスマスプレゼントを贈る米軍兵士たち” といった ”平和的な” キャプションがありました。誰がキャプションをつけたのかはわかりませんでしたが、新聞か写真グラフ誌に掲載されたものだったと記憶しています。
山地の、黒っぽい貧しい着物風の衣装を着た少数民族の村、かなり奥地の感じがする場所です。
ニヤニヤした大きな米兵たちの前に、黙って列を作っている浮かぬ顔の幼児、子供たち。それを遠くから取り巻いて見守る悲しげな暗い顔をした親たち。
で、配っているモノをよく見ると、、、何と、トウモロコシの芯をニスで固めて作った煙草のコーンパイプ。これは私がアメリカの南部を旅したときに、どこの土産物屋でも見た、安物の、誰がこんなものを買うかといったシロモノなのでよく覚えています。それに筆立て。状差し。
鉛筆など握ったこともないような子たちに筆立て?  鉛筆ではないのです。それに手紙の意味もわからないだろうに状差し? それにパイプ!
田舎の土産物屋で売れずに、段ボール箱で倉庫に山積みになっていたものだか、倒産ものだかを、そのまま持って来たのであろう、人をバカにしすぎている、死ぬほど心のこもらないプレゼント。
今でこそ、この1枚の写真は、ベトナム戦争の本質を物語っているように思いますが、その当時はきっと、ベトナムのアメリカ軍は、マスメディアの上ではまだ平和の使者だったのでしょう。アメリカのやる戦争は、ベトナムで負けるまで、常に正義の戦争だったからです。私が高校生のときに、この写真を見ていたら、どう感じただろうか、気がつかなかっただろうかと、90年代にこれを見て思ったものでした。

写真というのは、見る人が知っていることしか見れないものです。
言葉のない写真を見たときに、写真を見る人ができる認識は、その人がすでに知っている認識の範囲内であり、すでに知っている知識内であり、一人一人の思想や歴史に基づくものであり、それらを総合した感覚によるものです。つまり、言葉のない1枚の写真があなたの知らないことを知らせてくれたり、認識を新たにさせてくれたり、新しいものの見方を指し示したり、そんなことは決して起こりえないことなのです。

そのことの認識の上で、わたしは言葉(タイトル、キャプション、文章)を書いているわけです。

もちろん、写真には、色が美しい、光が素晴らしい、それ以外の何ものでもない写真もあり、そんな感じでシャッターを押している写真もあります。そんな写真でも、グループ写真の1枚として、ついキャプションを書いてしまい、写真の見方を限定させてしまうこともあります。そこのところが、とても難しいと、いまだに考え込んでしまいます。

a0215638_13411271.jpg

[PR]

by keiorihara | 2012-12-02 15:14 | Queens | Comments(1)
2012年 10月 13日

サニーサイド   46St-BlissSt Station

a0215638_337491.jpg

ちょっとブログの更新に日にちが空いてしまいましたが、決してさぼっていたわけではありません。
撮影して帰って来ては、その日の写真を見ながら写真の整理をしていると、更新する暇が無くなってしまうのです。
そんなふうに写真が山のように溜まっていく。写真を整理ソフトに取り込んだまま、よく見ないままにどんどん次が入ってくる。
考え直さなくてはいけません。

わたしの場合、一枚の写真を眺めている時間が長過ぎるのだと思います。写真の隅々まで見ては、いろんなことを考えます。一部を拡大してはディテールを楽しみます。私は、本当に[見ること]が大好きな人間なのです。
私が見ているのは、人間であり、文化や歴史や時代であり、人間の思いや願いであり、人間がする行為の結果であったりします。




a0215638_3381985.jpg

46St駅に上り下りする階段の壁。




a0215638_3384122.jpg

どこの国のどんな時代にいるのでしょうか、私は。




a0215638_3385892.jpg

この人は軍隊にいたのだろうか、そんなことを考えます。
[PR]

by keiorihara | 2012-10-13 06:45 | Queens | Comments(0)
2012年 09月 26日

サニーサイドを奥に歩く   walk deep into Sunnyside

サニーサイドも全然歩き足りていない。
あまりにも多くの顔があって、”サニーサイド”と表記すると、どう写真を選んでいいか分からなくなる。
まったくもってとんでもない街だと思う。
そのくせ、クイーンズの別の地域の街の1枚を持ってくると、どうしても浮いてしまう。
やはり、サニーサイド、という匂いが写真に匂っているのだ。
何なんだろうと、頭を抱えてしまう。


a0215638_1915221.jpg




a0215638_18574514.jpg




a0215638_18591147.jpg





a0215638_1735017.jpg





a0215638_1246185.jpg




a0215638_18593888.jpg




a0215638_192179.jpg

[PR]

by keiorihara | 2012-09-26 19:28 | Queens | Comments(0)
2012年 02月 02日

ロングアイランドシティ  Long Island City 2012-3

a0215638_943761.jpg
ヘッドライトが壊れて、応急処置でしょうか。こういう車はマンハッタンには走っていませんね。(クリックして拡大しないと、よく見えないかもしれませんが)

a0215638_95345.jpg
何かわからないモノ。

a0215638_952054.jpg
歩道の上に作った小さなシソ畑。この倉庫の中には”梅シソ巻き”好きのアーティストが住んでいるのかもしれない。犬にウンチされたらたまりません、と控えめに注意書きがあります。

a0215638_9152829.jpg
これを描いたのは日本人?だとすると、グラフィティアートで売り出そうとしているコンテンポラリーのアーティスト? 中国人だと、shiroとは読まないし、、、といろいろ想像することの多いロングアイランドシティです。

a0215638_19343619.jpg
10年くらい前までは、ファッションを見れば日本人か韓国人か中国人かを言い当てることがだいたいできていたように思うのですが、今はまったくわかりません。しかし、こんなところを歩くのはやはり日本人でしょうね。

a0215638_9264373.jpg
1909年竣工のクイーンズボロブリッジの橋桁。道路(歩道付き)はマンハッタン59丁目に行きます。

a0215638_19361655.jpg

キャプションを書いた方が、写真を立ち止まって見てくれるような気がして気楽に書いていますが、本当はシャーッターを押すたびに、この3倍くらいのことが頭をかけめぐっているように思います。
このあたりは、ひとつ曲がれば何が見えるかわからないというわけで、ロングアイランドシティの散歩は、こうして延々続いてしまいそうです。
[PR]

by keiorihara | 2012-02-02 20:04 | Queens | Comments(2)
2011年 07月 24日

Sunnyside, Queens

a0215638_16275652.jpg


ニューヨークの街を歩いているといろんな思いや考えが頭の中をかけめぐる。
旅をしているときによくある現象が、日常の中でおきる。
そうだ、ブログを始めて、見たこと、感じたことを伝えていこう。

せっかくなら写真をのせてはどうか。
私の住むクイーンズは意外と知られていない変なところだ。
よし、毎日シャッターを押そう。

というわけで、1回目に選んだ写真は、わが街サニーサイドの泣けてくるような懐かしいアーチ。
なのに写真を見ていたら、何も書くことが思い浮かばない。
それが写真というものなのだと思う。
この写真に<崩壊直前のアメリカ>とタイトルしたら、いくらか書けるだろうか。

そんなわけで写真は写真で、それとは関係なく文を書いていくと思う。
そうじゃないと、親切な私は、つい写真の説明なんかしてしまうから。

それから、写真をクリックして、ぜひ写真を大きくして見てください。
(フルサイズにならないのが残念ですが)

       *
折原恵(おりはら けい)  
写真家、女性
長く東京で雑誌を中心に写真の仕事に携わる。
2004年から6年間、南部ジョージア州アセンズに住む。2010年7月よりニューヨーク在住。
[PR]

by keiorihara | 2011-07-24 05:52 | はじめにープロフィールにかえて | Comments(3)