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2011年 12月 06日

「反格差運動」という言葉 (Photo)Grand Central Station

日本のニュースをネットで読むと、ウォール街占拠運動(Occupy Wall St.)のことを、格差反対デモとか反格差運動などと名付けている。
なんだろう、その名称への違和感は。

ただ格差に反対するという言い方は、ちょっと社会主義的な感じがする。
本来平等であるものを格差をなくせ、と言っているのようにきこえるからだ。
アメリカでは人権は平等であるべきだけれど、人の賃金や待遇が皆平等であるべきだという発想はもとよりないので、格差があることは前提であると思う。
つまり金持ちと貧乏人の差が大きすぎる、といって、その”格差”に反対しているのではないのだ。
”格差社会反対”なら少しは納得できるものがあるが。

問題は日本で使われている”格差”という言葉を、日本のマスコミは何の定義もせずに、何も考えずに、違う社会で起きていることに使っていることだ。
なぜ”ウォール街占拠”運動では、いけないのだろうか?  なぜ、ちゃんと翻訳をせずに外国映画に対してよくやるように、別の日本的な言葉に言い換えるのか。(映画に関してはそれが良いときもあるけれど)
格差反対という言葉は、ある法律の適用範囲に格差があるので反対、とか、男女賃金の格差に反対という場合には、意味があると思う。
しかし、たんに格差反対では、金持ちと貧乏人がいることに反対と言っているみたいで、アホみたいではないか。(実際、日本の新聞とネットニュースには何の追求の姿勢もなく、とても冷ややかな、あるいは馬鹿にしている口調である。)

なぜ、格差反対ではなく、”ウォール街を占拠せよ”なのか。
政治が99%の国民のためにあるのではなく、ウォール街を動かす1%の資本家層のためにおこなわれていること、1%の人間の富と権力のために99%の人びとが犠牲になっている、このような社会のシステム(体制)を変えよ、という運動だからだ。

高額所得者を優遇し低所得層を冷遇する税制。税金をしこたま取っているのに国の健康保険もない。医療費も薬代も信じられないほど高い。民間の健康保険も考えられないほど高い。なのに多くの疾病がカバーされない。保険会社が病院も医者をさえも動かしている。保険会社や製薬会社が政治を動かしている。オバマも保険会社や製薬会社の宣伝マンだ。
税金の20%が、武器を生産し貧しい国を侵略し弾薬を消費し人殺しをすることに使われている。兵士をリクルートするのが大変だから、つねに一定程度貧困層をキープしておかなければならない。軍隊に入れば大学だって夢じゃないよ、これが今でも殺し文句だ。(実際のところは入隊しても大学は夢の彼方だというが)

こんなことを書きはじめたらきりがないのでやめる。
言えることは、ウォール街占拠運動は、格差反対などというぼやけたものではなく、観念的なところのまったくない、きわめてポリティカルな、そして根源的な反体制運動であるということ。
民主主義なんてどこにもない、金と権力(ウォール街)が、政治を動かしていることへの異議申し立てなのだ

アメリカにいると、日本はきわめて平均化した格差のない国だと感じる。
日本ではバブル崩壊後の不況の深まりとともに(2005年以降だと思うけれど)、声高に”格差”という言葉が使われるようになったと思う。
でも、バブル期の方がはるかに格差があったように個人の経験からは感じるし、じっさい調べてみたらそのようだ。
一億総中流といわれながら突入したバブル期にも貧困はあったはずなのに、日本には貧困がないことになっていた。存在を認知されていなかった。それに私たちは、バブル期を楽しむのに忙しく、そういう事実をあえて見たいとは思わなかったのだ。
それがバブル崩壊後、不況がつづくにつれて少しずつ、たとえば湯浅誠さんら貧困者を助ける活動をしている人たちの努力などに負うことも大きいのかもしれないが、高度経済成長以後初めて”貧困”に光が当てられたように思う。
貧困の認知とともに、格差が浮かび上がった。

日本の格差は、本当に拡大しているのか、少なくともひと世代前より格差が大きいとはどうしても信じられない私である。
日本でも”反格差運動’があるらしいが、原発問題はじめ、変わらない日本、省庁が決める政治の問題を考えるとやはり、”霞ヶ関を占拠せよ”または”反霞ヶ関運動”こそ、本当のところをついている運動ではないかと思うが。

つぎからは、もっと身近なことを書くことにします。(こんなことをしつこく書くつもりじゃなかったのに、つい)

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by keiorihara | 2011-12-06 13:00 | USA | Comments(2)